Thursday, June 27, 2013

わたしは神を探している



フランスの画家ポール・セザンヌ(1839〜1909)は、ブロヴァンスにおいて風景を写生しながらつぶやいていた。「わたしは神を探している。。。。」

「神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。」聖書・使徒の働き17:27

Tuesday, June 25, 2013

礼拝


6月16日、豊かな命教会での礼拝

小堀兄の司会

家内奈帆の奏楽

小岩井師のメッセージ

城兄の子供の指導

御子(イエス・キリスト)は、見えない神のかたちであり、
造られたすべてのものより先に生まれた方です。
なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。
天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、
王座も主権も支配も権威も、
すべて御子によって造られたのです。
万物は、御子によって造られ、
御子のために造られたのです。
御子は、万物よりも先に存在し、
万物は御子にあって成り立っています。
また、御子はそのからだである教会のかしらです。
御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。
こうして、ご自身がすべてのことにおいて、
第一のものとなられたのです。
なぜなら、神はみこころによって、
満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、
その十字架の血によって平和をつくり、
御子によって万物を、
御子のために和解させてくださったからです。
地にあるものも天にあるものも、
ただ御子によって和解させてくださったのです。
聖書・コロサイ1:15−20

Sunday, June 23, 2013

「重荷を負う者、我に来たれ」


詩画作家の星野富弘さんがまだ高校生だった頃、家の近くに十字架の墓が建てられた。富弘さんは家の農作業の手伝いをするときに、たい肥の入った大きな籠を背負ってたびたびその前を通った。その十字架には「労する者、重荷を負う者、我に来たれ」と書かれていた。まだ聖書を知らなかった富弘さんは、これはどういう意味だろうかと考えた。「この言葉は、俺のように重い荷物を背負った人のことかな」とも思ったが、しかしそこに記された「我に来たれ」の「我」というのが誰のことなのかはわからぬまま長い年月が過ぎ去った。


しかしあの大きな事故の後、ベッドに寝たきりの生活の中で聖書を読むようになって初めて、「ああ、あれはキリストの言葉だったのか!」と気づいたと言う。富弘さんはその時初めて、あの言葉「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところへ来なさい」(聖書・マタイ11:28)を、キリストの言葉、神の言葉として見上げたのである。ここからクリスチャンとしての富弘さんの新しい人生が始まったのである。


星野富弘さんの「いのちより大切なもの」より

Wednesday, June 19, 2013

Story of Hope



小谷雅人のMy Story of Hope(希望の話し)をVimeoで見て下さい。ここクリック:Vimeo

小谷さんは、3.11の東日本大震災の被害者の一人で、希望を見いだしました。イエス・キリストは、彼のために特別な事をして下さいました。生きる喜びを下さいました。

「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。」聖書・詩篇42:5

東北の方を忘れないで下さい。

Tuesday, June 18, 2013

この上もない完全なことがら


「神(造り主)を必要とすることが、人間にとってはこの上もない完全なことがらなのである。」セーレン・キルキゴール

「すると、パリサイ人やその派の律法学者たち(宗教家)が、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。『なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか。』そこで、イエスは答えて言われた。『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。』」聖書・ルカ5:30−32

Monday, June 17, 2013

かえって仕えるため



6月9日(日)、豊かな命教会の清掃
20人くらいてつだって下さいました。ありがとう!
窓、カーテン、庭、ライト、カーペット








「人の子(イエス・キリスト)が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」マルコ10:45 キリストは、私たちの救いと模範です。

Tuesday, June 11, 2013

ファミリーフェスタ


6月2日(日)、安曇野ファミリーチャペルで

かき氷を楽しむ百瀬さん

 服は安かった

子供のためにいろんなゲーム

安曇野ファミリーチャペルは、私たちの豊かな命教会とパートナーシップにある教会です。豊かな命教会から15名以上がファミリーフェスタに行きました。

Monday, June 10, 2013

神と自分の悲惨さ



「パンセ」で良く知られているフランスの数学者・物理学者・宗教哲学者のブレーズ・パスカル(1623〜62)はこう言った。「自分の悲惨さを知らずに神を知ることは傲慢を生む。神を知らずして自己の悲惨を知ることは、絶望を生む。」

『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』聖書・ルカ18:13

参考:「この希望は失望に終わることがありません。」

Wednesday, June 5, 2013

松本城... Amazing!


よくご存知のとおり、私たちが住んで、仕えている町は、お城で有名です。国宝です。でも、下をクリックして、日本の芸術家がダンボールで造ったお城を見て下さい。Amazing! スクロール・ダウンして、全部を見て下さい。Japanese artist recreates Matsumoto Castle out of cardboard | RocketNews24 (写:去年の秋また尋ねました。)

Tuesday, June 4, 2013

「パンデミック」


読売新聞によると「新型コロナウィルスの感染が中東、欧州で広がっている。」のです。「SARSの再来」警戒 : 知りたい!「パンデミック(世界的大流行)」を引き起こす可能性があるのです。もちろん、日本にも。

実は、このようなことをも、聖書は、予言しています。ルカ21:912に「 戦争」と「暴動」を予告されています。(昨日、トルコですごい暴動がありました。)「だが、終わりは、すぐには来ません。」東日本大震災のような「大地震」やエチオピアの「飢饉」(ききん)が起こるのです。「天からのすさまじい前兆も起こります。」キリスト者の大規模な迫害も起こります。。。でも、この予言の中に、新型コロナウィルスのような「方々に疫病が起こる」と書いてあります。

私達は、どうすれば良いのでしょうか?。。。神が私たちを神に立ち返るように、このような試練を与えたのではないでしょうか。私たち人間は、真の神(造り主)を知っていました。しかし、愚かな私たちは、神を見捨てました。でも、神は、私たちを見捨てませんでした。神は、人となり、私たちの間で住み、神しか出来ない奇跡を起こしました。そして、私たちを神に立ち返らせるように、イエス・キリストが十字架上で私たちの受けるべき罪を永遠の罰身代わりとなって受けて下さいました。また、三日目に復活しました。私たちは、恵みによって、信仰によって、神に立ち返るのです。存在する神を愛するのです。これがはじめのステップです。

でも、また、隣人をも愛するのです。。。西暦300ごろ、アジプト、アレクサンドリアの司教デイオニシウス(Dionysius)はこう書きました。「教会の長老、執事と信徒が、自分の身の危険を無視し、病人の治療の責任をとった。」なぜでしょうか? ゲアリー・ファーングレン(Gary Ferngren)は、Medicine and Health Care in Early Christianity(医療と初代キリスト教の健康ケア)と言う本で『初代キリスト教の慈善は"imagio Dei"(人間が神に似せて創られた)という聖書思想によって影響された。神の愛が兄弟に対して自発的な愛を要求していた。兄弟を愛していなかったら、神を愛していると言えなかった。この確信によって、クリスチャンは、貧しい人、病人、未亡人と孤児のためのしっかりしたケア・システムを作っていた。疫病が襲った時、教会がこのシステムを用いて教会以外の人のために素早いケアを与えた。』Pensées パンセ: 新型インフルエンザ ナイチンゲールを思い出しますが、このような時、私たちキリスト者は、自分の危険を顧みずに、具体的な愛を示したいものです。今から備えましょう。主の恵みを味わって、それによって、出来ます!