Friday, July 25, 2014

「感謝、感謝!」


内村鑑三は愛する娘—ルツ子—が重大になったとき、いっさいを笹尾鉄三郎にゆだねた。彼はルツ子をみちびき、彼女は、主イエスを信じ、信仰をもって世を去っていった。ルツ子は、鉄三郎によって復活の信仰をもったのだ。彼女は、「感謝、感謝!」といい、「もういきます」といって天に召されたのだった。


「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。」聖書ピリピ1:21

Tuesday, July 22, 2014


「自分達がそんなに悪くない人だと思えば、恵みという概念は私たちを変えません。」ティモシー ケラー

"As long as we think we are not that bad, the idea of grace will never change us." Timothy Keller

「。。。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。。。恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」ローマ5:21

考:私たちが自分の罪が分かれば分かるほど、助けと恵みが無ければ成らない事が分かる。助け主は、唯一主イエスである。主は、私たちが罪のゆえに死ぬべき死を代わりに死んだ。また、3日目に復活した。今も、主を信じ求めるものに恵みを与える。それも、満ち溢れて。賛美!

Tuesday, July 15, 2014

福沢諭吉と神



福澤諭吉(1834〜1901)は、8才と6才になる長男一太郎、次男捨次郎のために、「日々の教え」を作ったが、その中でゴッド(God=神)のことを教えている。

「ひびのをしへ 一編 だい八」世の中に父母のながくいきてじょうぶなるは、子供のねがうところなれど、けふはいきて、あすはしぬのもわからず。父母のいきしには、ごっど の心にあり。ごっど は父母をこしらえ、ごっど は父母をいかし、また父母をしなせることもあるべし。天地万物なにもかも ごっど のつくらっざるものなし。子供のときより ごっど のありがたきを知り、 ごっど のこころにしたがうべきものなり。

『ひびのをしえ 二編 だい一』てんとうさまをおそれ、これをうやまい、そのこころにしたがうべし。ただし、ここにいうてんとうさまは、にちりんのことにはあらず。西洋のことばにて ごっど といひ、にほんのことばにほんやくすれば、ざうぶつしゃ(造物者)というものなり。

さらに第二、第三以下第六まで、父母を敬え、殺すべからず、盗むべからず、いつわるべからず、むさぼるべからず、と「モーセの十戒」(主エジプト記20)のように列記して、さらに別に改めて、「だい一」として、「てんとうさまのおきて」の永遠にかわることなきをいうとある。

「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」聖書・伝道者の書12:1

Tuesday, July 8, 2014

今もなお祈った。


「*ヨブが栄えていた時、祈った。彼が苦しんでいた時も、今もなお祈った。」ティモシー ケラー

"When Job was prospering, he prayed. When he was suffering, he still prayed." Tim Keller

『そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」』聖書・ヨブ記1:21


*西洋では「ヨブ」は、非常に苦しんだ人の象徴である。彼は、栄えた時も祈ったが、苦しんだ時も続けて縋って祈った。私たちは、神を御利益的に見ている時が多すぎる。自分が思う通りに成ると喜ぶが、思う通りに成らないと神を呪う。私たちは、神をただ使っているのである。天地を造られた神にとても失礼です。。。私は、こう思う。神は、頼るに値する真の助け主です。なぜなら、この神は、十字架上で、私たちが、自分の罪のゆえに、死ぬべき永遠の死を、代わりに死んで下さった。また、3日目に復活した。今も、私たちをかえりみて下さる。良い時にも、悪い時にも、常にすがり、祈りましょう。


Tuesday, July 1, 2014

写真三つ。。。


私たちのアパート&教会前の花。

豊かな命教会の男性が看板の柱を塗装。

私の信大のSTUDENTSが物語エッセーイのアウトラインを書いている。