Monday, December 22, 2014

「人間と同じようになられました。」


昔、ローマに、ヘクターという軍人がいた。戦場に出て行くため、兜や武具で身をかため、これが最後になるやも知れずと、家族に別れをつげ、最後に幼な子を抱いて接吻をしようとした。。。ところが幼な子は、いかめしい武具に身をかためた父の姿を見て恐れ、いくら手をさしのべ、よんでも近ずこうとしなかった。そこでヘクターは部屋にもどり、実につけた兜や武具をすべて取り外し、ふだん着に着変えて出て来た。。。すると幼な子は喜んで父のしっかりした腕の中にとびこんで接吻を受けた。。。ヘクターは再び部屋にもどると、武具をいかめしく身につけ、いさましく出陣して行った。。。

上の話しは、クリスマスを例えます。イエス・キリストは、そのままの神の栄光の姿でこの世に来たら、私たちは、圧倒されたでしょう。近よることは、出来ませんでした。しかし、キリストは、その輝きを一時捨て、「人間と同じようになられました。」これがクリスマスです。

 『キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。』聖書・ピリピ2:6-11

Tuesday, December 16, 2014

「クリスマスとおふくろ」


私の1番尊い子供の頃の思い出は、クリスマスです。小学2年生の頃から、寮に住んで、東京の東久留米のアメリカンスクールに通っていました。クリスマスの休みになって、電車に乗って、新宿から松本に帰って来ました。松本に近づいて「雪があるか!雪があるか!」と窓の外を懸命にのぞいていました。家に帰ったら、アメリカからのクリスマスプレゼントがクリスマス・ツリーの下に置いてあったり、教会のクリスマス集会を楽しんだりしました。(写:患者さんの手をクリスマス会中ずっと持っていました。)

そのクリスマスの休みに、おふくろが白馬、鹿島槍などでスキーのファミリータイムを計画して下さいました。多くの場合、クリスマスプレゼントは、スキーの道具でした。それをツリーの周りに起きました。そして、安い民宿や旅館に4泊ぐらい泊って、皆でスキーしまくりました。楽しかったですねー。1番楽しんだのは、おふくろでした。母の1年間の娯楽をその一週間にまとめていたのです。。。そのおふくろは、丁度1周間ほど前(12月6日)、土曜日の2:30頃、天国に召されました。。。おふくろの話しを少ししたいです。

母は、10歳の時にはじめてミシガン州のワターフォードコミュニテー教会に行きました。牧師先生のお話に『人を憎むことは罪』と聞き衝撃を受けました。なぜなら、その頃、母の父親(私のおじいちゃん)は、お酒を飲んだり、怒鳴ったりしていました。母のお母さんは、子供と一緒に逃げなければならない時もありました。母は、そういうお父さんを憎んでいました。でも、母は、その教会で、罪から救って下さるイエス・キリストを信じたのでした。信じたすぐ後、お父さんのところに行って憎んでいたこと謝り、牧師先生のお話を伝えました。お父さんは、その娘の行動と言葉に衝撃を受けました。その後、お父さんは、教会に行ってクリスチャンに成り、母も(私も)とても尊敬できる人へと変わりました。

母は、第2次世界大戦のすぐ後のことでしたが、日本で宣教師に成ろうと決めました。50年間近く松本平で父と共に伝道し、奉仕して来ました。この協立病院にも何回も何回も来て患者に仕えました。母は、ビジネスウーマンタイプでした。教会の伝道奉仕はもちろん、聖書書店を経営し、英会話を広く教え、長野県中でSBCラジオの「豊かな命アワー」で聖書の話しをしました。また、商工会議所や「同和問題」の集会、老人大学などで講演しました。また、2000回以上、長野県中のPTAで家庭や教育について講演しました。。。でも、1番印象的なことは、母は、祈りの人だったということです。最近も『お母さん、教会の何々さんの為に祈って』と言ったら、必ず祈ってとりなして下さっていました。最後まで、祈り人でした。

私にもしっかり聖書のGOODNEWS(良い知らせ)を教えて下さいました。これが私の1番の宝でしょう。特に聖書の最も大事なヨハネ3:16を教えて下さいました。<この言葉は、私たち皆に、クリスマスの本当の意味をも教えて下さいます。>読みます。神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

説明しましょう。「神」は、天地を造られた神です。その恩方は、「ひとり子(イエス・キリスト)を(この世界に)お与えになった」のです。それがクリスマスの出来事ですね。また、神に背を向いた、神と隣人を愛さない「世を」逆に「愛された」のです。そして、罪のないイエス・キリストが十字架上で、私たち罪人のために、私たちが罪のゆえ死ぬべき死のを代わりとなって死んで下さいました。でも、また、歴史上事実、三日目に復活しました。それは、誰「ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つため」なのです。「御子を信じ(受け入れ)る」と“死んでも死なない命”を頂けるのです。これが1番素晴しいプレゼントですね。

母は、先週の土曜日、天国に行きました。私たちは、やはり自分のことを考えると寂し、悲しいし、涙が出ます。ですが、母のことを考えると、嬉しいです。なぜなら、母は、「永遠のいのちを持って」いて、天国にいて、母の喜びである主イエス様の身元にいるのです。聖書の福音(GOODNEWS)は、悲しみと喜び両方を促すのです。涙と十字架の痛みを知る私たちの神の前で、自分の痛みに対して正直であっても良いです。でも、復活と「永遠の命」があるから、母が天国にいて喜びと希望を共に喜んでも良いのです。

おふくろやおやじが常に語っていたメッセージがこのクリスマスのメッセージです。それは、キリストが生まれたのは、死ぬためです。そして、その死によって、ただ信仰によって、私たちは、本当に「永遠に」また「豊かに」生きるのです。

12月13日(土)松本協立病院のクリスマス会のメッセージ

Thursday, December 11, 2014


 意義のあるクリスマスを

豊かな命教会

2014年12月21日(日)
クリスマス礼拝
AM 10:30〜 クリスマス賛美歌 & メッセージ
お祝い会 
AM 12:30〜 スペシャル・ランチ、お楽しみ、 
               & キャンドル・サービス

豊かな命教会 ☎28−9836  松本市出川2−22−14 (出川郵便局のななめ向かい)
<参加自由・入場無料>


聖書・2コリント8:9「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」

心より皆様のお越しをお待ちしています!  豊かな命教会・ジャンカー・ジョナサン宣教師


Tuesday, December 9, 2014

母は天国に召されました。



先週の土曜日、午後の2:30頃、母は、天国に召されました。父と母、アメリカのミシガンのペタスキーに住んでいます。。。確かに涙がありますが、喜びもあります。なぜなら、母がいつも願っていた主イエスの身元にいるからです。母は、喜びに満ちています。ですから、私たちも、喜んでいます。でも、時々寂しいです。

(父と母は、50年近く長野県の松本市で伝道しました。)

「主の聖徒*たちの死は主の目に尊い。」聖書・詩篇 116:15

*「聖徒」とは、特別に際立った人ではなく、誰でも、ただ主のあわれみによって、自分の罪を認め、主イエス・キリストとその十字架を信じ、従う者。


母の講演より:伝統の子育てを見返す


Wednesday, December 3, 2014

「この人がキリストであった。」



ローマ帝国につかえたユダヤ人歴史家フラウィウス・ヨセフス(37頃〜100頃)の「古代史」に記されたイエスです。

「そのころイエスというものが現れた。もし人と呼ぶべきであるとすれば、まことに賢人そのものであるといわねばならない。なぜなら、彼は、驚嘆すべきわざをなし、喜んで真理を受け入れる人々の教師であったからである。彼はユダヤ人ばりでなく、多くのギリシャ人をも指導した。この人がキリストであった。そして彼は、我々の指導者達の非難を受け、ピラトウスが彼を死刑にした時でさえ、さきにキリストを愛した人々はとだえることがなかった。というのは、彼は、三日目によみがえって人々に現れたからである。。。神の予言者たちは彼について、これらのことの他、多くの不思議なことを予言していた。そして今でも、彼にちなんで名ずけられた『クリステイアノス』(クリスチャン)の一族は消滅しない。」


「私たちの間ですでに確信されている出来事については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人々が、私たちに伝えたそのとおりを、多くの人が記事にまとめて書き上げようと、すでに試みておりますので、私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。それによって、すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます。」聖書・ルカ1:1−2


歴史家ヨセフスも、聖書のルカ書を書いた医者のルカも、キリストの福音の事実性を強調しています。。。私たちには、本当に罪の問題があるから、本当の救いまた救い主が必要です。キリストが唯一真の救い主です。