Sunday, May 27, 2018

B.B. キングの「ラヴ・カムズ・トゥ・タウン」


ラヴ・カムズ・トゥ・タウンの英語名は”When Love Comes to Town." 直訳すると「愛が待ちに来た時」です。ブルーズ界の巨人B.B.キングU2と一緒に歌っているのを聞いて下さい。B.B. King & U2 - When Love Comes To Town - CLIP - YouTube。英語の歌詞は、ここーWhen Love Comes to Town Lyrics

注目して欲しいのは、幾つかの歌詞です。先ず”I was a sailor, I was lost at sea。” B.B. は、自分を「迷っていた船乗り」に例えています。しかし、「愛が町にくる』のです。そして彼は「愛の電車に乗る」のです。"Love comes to town I'm gonna jump that train."

「愛」とは何・誰か?それは、後でわかるのです。

引用します。
I was there when they crucified my Lord
I held the scabbard when the soldier drew his sword
I threw the dice when they pierced his side
But I've seen love conquer the great divide


愛は、イエス・キリストの事です。

訳します。
主を十字架につけた時、私は、そこにいた。
兵隊が剣を抜いたとき、私が、さやを持っていた。
彼の脇腹を刺した時、私は、さいころを投げた。
しかし、愛は、大きな隔たりに打ち勝った。

B.B.は、こう言っているのです。「私の罪がイエス・キリストを十字架につけた。でも、それによって、私は、愛に預かったし、愛は、勝利した。イエス・キリストによって。」

差別と言う「大きな隔たり」に打ち勝ったのです。

聖書・1ヨハネ4:9−11「神はそのひとり子(イエス・キリスト)を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、(十字架上での)なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。」

Wednesday, May 23, 2018

『愛』


ロイヤルウェディングでマイケル・カリー主教によるメッセージで70回以上『愛』という言葉が繰り返されました。Mirror Online


愛の最高点は、イエス・キリストと言う人物です。カーリエ司教は、こう言いました。「イエスが死んだのは、それでなにか得することがあったからではありません。死ぬことで、名誉博士号を得たわけでもありません。なにも得しなかったんです。ほかのひとのため、この世の幸せのために、自らの命をあきらめ、犠牲にしました。私たちにとって、愛とはこのようなものなんです。」


カーリエ司教が引用した箇所にこうあります。1ヨハネ4:10、「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物(犠牲)としての御子(イエス・キリスト)を遣わされました。ここに愛があるのです。」


*メッセージを英語で聞く:US Royal Wedding: Most Rev Michael Curry, presiding bishop and primate of the Episcopal Church - YouTube



Monday, May 14, 2018

『実るほど。。。』


『実るほど頭を垂れる稲穂かな』

英国のトーマス・ワトソン師は、こう書きました。「木が実で溢れていれば、その枝は、低く下がる。」 “The fuller a tree is of fruit, the lower the bough hangs.” Thomas Watson 

「私たちは、高く建てたければ、低くはじまる必要がある。」イギリス、リバープールのライル司教  “We must begin low if we would build high.” Bishop Ryle of Liverpool

「しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。『神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。』」聖書・ヤコブ4:6

Monday, May 7, 2018

十字架の絵


明治時代に、ヘボン式ローマ字で有名なジェームス・カーティス・ヘボン は、日本の横浜などで、宣教師、医者、教師として活躍しました。

ヘボンの家に、キリストの十字架につけられた絵がありました。しかし、キリシタン禁制の時代だったのです。神奈川奉行にこの絵を差し押さえようとしました。その時、奉行の方が「ヤソ(イエス)はなぜ十字架につけられているのか?」と尋ねたら、ヘボンは十字架の愛*について語りはじめました。それは「ご利益のようなものか?」「いえ、そうではありません。愛は、相手のために命を捨てることができるものです。」「そうか、愛とは慈悲に近いものだな。」「いえ、もっと深いものです。自分を傷つける者さえも抱きしめることができるものです。子供が母の手を振り切って、危険の中に自ら入ってしまうように、私たちも自分で何をしているのかわからない罪の中にいます。危険な火事の中に何も知らないで飛び込む子供のような私たちを助けるために、イエス様は十字架の上で代わりに死なれたのです。」その奉行の方は、やっと愛について理解しはじめました。

その後、大使館専属の医師に任命されました。ヘボンは身の危険が及ばないためだったのです。不思議に、十字架の愛について尋ねたその奉行の方がその提言をしてくれたのです。彼は十字架の愛について理解したのでした。

「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」聖書・1ヨハ4:8ー9


* 当時の日本人、は「愛」について全然を知らなかったのです。

Wednesday, May 2, 2018

その人に対して何を言えるであろう



「私たちは、自分が傲慢、野望、情欲、弱点、悲惨、と不正で満ちているのが理解できなければ、私たちは、正に盲目である。そして、もしも、これを知りながらも、救いを求めていなければ、その人に対して何を言えるであろう。。。?」ブレーズ・パスカル

"If we do not know ourselves to be full of pride, ambition, lust, weakness, misery, and injustice, we are indeed blind. And if, knowing this, we do not desire deliverance, what can we say of a man...?" Blaise Pascal

「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」イエス・キリスト、聖書・ルカ5:31−32

自分の心の病いを悟って、はじめてその解決を見いだせるのです.