Monday, September 30, 2013

「空の空」20



「光は快い。太陽を見ることは目のために良い。人は長年生きて、ずっと楽しむがよい。だが、やみの日も数多くあることを忘れてはならない。すべて起こることはみな、むなしい。若い男よ。若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心のおもむくまま、あなたの目の望むままに歩め。しかし、これらすべての事において、あなたは神のさばきを受けることを知っておけ。だから、あなたの心から悲しみを除き、あなたの肉体から痛みを取り去れ。若さも、青春も、むなしいからだ。
あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。太陽と光、月と星が暗くなり、雨の後にまた雨雲がおおう前に。その日には、家を守る者は震え、力のある男たちは身をかがめ、粉ひき女たちは少なくなって仕事をやめ、窓からながめている女の目は暗くなる。通りのとびらは閉ざされ臼をひく音も低くなり、人は鳥の声に起き上がり、歌を歌う娘たちはみなうなだれる。彼らはまた高い所を恐れ、道でおびえる。アーモンドの花は咲き、いなごはのろのろ歩き、ふうちょうぼくは花を開く。だが、人は永遠の家へと歩いて行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。こうしてついに、銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、水がめは泉のかたわらで砕かれ、滑車が井戸のそばでこわされる。ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。空の空。伝道者は言う。すべては空。」伝道者の書11:7−12:8



人生の空しさは、普通、主に、人生を長く経験した人に理解出来るのです。いろいろ体験し、自分を含める人間の頼りなさ実感し、快楽のリミットを実感し、人生に与える仕事の喜びの限度を実感するのです。でも、ソロモン王は、聖書は『人生の空しさを早いうちに学べ』と言っているのです。こう書いてあります。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」神は、神抜きの人生の空しさと神あり人生の尊さを喜んで欲しいのです。早いうちに。若者に2つのことを覚えて欲しいのです。先ず、若い時に人生を喜ぶこと。次に、若い時に神を覚え知ること。

先ず、若い時に人生を喜ぶ楽しむこと。

「光」を「喜べ」と言っています。「我れら十三才の時のまたあるべきか。」徳川頼宣 神の与えた『善は急げ』なのです。なぜなら、目が見えない、年老いた「暗闇」日が来るからです。ですから、「あなたの心のおもむくまま、あなたの目の望むままに歩め。」若いうちに人生観を確立し、世界観を描いておくことです。神を知る者は、人生を楽しんで良いのです。キリスト教は、修行や禁欲主義ではないのです。全て神が与えたものを喜ぶのです。「大きく神の御意の太陽の光に身を投ぜよ」と小畑進牧師は説得しています。

でも、そのバランスは「しかし」という言葉で分かります。楽しむが良いが、それと同時に、神が見ていて「その心のおもむくまま、あなたの目の望むまま」は、“神を忘れてするな”と言っているのです。次の節は、こう書いてあります。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」

次に、若い時に神を覚え知ること。

私は、何回も四国学院大学のチャペルタイムでメッセージしたことがありますが、その校門脇の立派な岩に、この言葉が彫り刻まれていて人目をひきます。「汝の若き日に汝のを創造者をえよ。」「空の空」をテーマしてある伝道者の書は、この希望と期待の言葉の結論の言葉で終わっています。「人生をほとんど使いはたして、残り少くなってからではなく、喜びも苦しみも豊かな若い日のうちに!」と天に召された小畑進む牧師が書いています。

なぜ「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」と言っているのでしょうか?なぜなら、年老いてくると「わざわいの日」が来るのです。また「『何の喜びもない』と言う年月が近づく」のです。この箇所で「わざわいの日」を比喩的に例えます。ここから、年老いてくると肉体的な精神的な衰退を描きます。

「太陽と光、月と星が暗くなり、雨の後にまた雨雲」は、死を例えているのです。暗闇は、死を意味します。死が一番「わざわいの日」です。

「家を守る者」は、腕と手のことです。それは「震え」るのです。これも「わざわい」です。前のように自分をケア出来ないので、恵まれた人は、家族によって帰されたり、ホームヘルパーが来てもらえます。が、家族を離れたホームでケアされるのは、寂しいです。

「力のある男たち」は、多分足のことです。足は「身をかがめ」るのです。曲がったり、弱くなったりします。人に助けてもらったり、杖をつかなえればならないのです。転んだりして、骨も折れます。「わざわいの日」です。

「粉ひき女たち」は歯を意味します。歯が抜けて「少なくなって」、噛み、ひきこなす「仕事をやめ」るのです。今は、入れ歯がありますが、ソロモンの頃の昔の人は、食べにくかったでしょう。「わざわい!」

「通りのとびら」は目のことで、その目は「閉ざされ」見えなくなったりします。大好きな本が読めなくなるのです。「目はかすみ耳は蝉なく歯は落る、降らねど積るの雪」仙崖

「人は鳥の声に起き上が」ることは、朝早い鳥の音で、朝早く起きてしまう老人の習慣です。「えっ何て言うた。。。えっ、えっ」と聞きかえして、残念ながら嫌われるのです。私は、まだ55才ですが、もうすでに4時頃、5時頃起きます。鳥の音がなくっても。

「臼をひく音も低くなる」ことは、食欲が減ったり、食べることが少なくなることを耳しています。若い頃は、信じられないほど食べるが、今は「腹八分」ではなく、「腹五分」いや、それ以下かもしれません。

「歌を歌う娘たち」は、多分耳のことです。聞こえなくなることです。どんどん耳が遠くなりますね。老いると、声がしわがれて卑しいダミ声になるのです。

確かに年老いた方は「また高い所を恐れ」るのです。80歳の登山家三浦雄一郎のような老人は、珍しいです。高い所だけではなく、身近な所にある「道でおびえる」のです。ちょっとした石ころにも蹴つまずくから、道を行くにもおびえてしまうのです。

「アーモンドの花」は咲く時、白っぽいです。これは、白髪のことを言っています。私のヒゲがもうすでに白いです。「皺(しわ)がよる、ほくろが出来る、腰曲る、頭ははげる、白うなる。」仙崖

「いなご」は、体が曲がっていることを表し、確かに年老いた方はゆっくり歩きます。まだ香川県の高瀬町にいた頃、前川さんのおばあちゃんの背中は、完全に曲がっていました。田んぼと畑をやっていたからでしょうか?

「ふうちょうぼくは花を開く」は、どういうことでしょうか?ふうちょうぼくは地中海産の木です。食欲や性欲増強剤のもとになるというので、活力が失せることです。日本でスッポンの役割をするのでしょうか?性欲が少なくなることです。

「銀のひもは切れ」ることは、また死を意味しています。「金の器は打ち砕かれる、水がめは泉のかたわらで砕かれる、滑車が井戸のそばでこわされる」こともそうです。老いるときは、死ぬときだ、と繰り返し、強調しています。「人は永遠の家へと歩いて行く」のです。体の「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る」のです。人は、皆死ぬのです。。。私は、7年間、香川県の高瀬町に住んでいましたが、私たちの北原に毎年数回もお葬式がありました。老人が多かったのです。命と魂の尊さについて考えさせられました。。。でも「あの世」に行く前に、いや「若い日に創造者を覚えよ」です。

ある牧師は、背中を丸めていたおじいさんとおばさんに声をかけました。キップを買って電車に乗るところでした。おじいさんはほとんど黙りこくっていましたが、おばあさんのほうは親切でしたが、がキリスト教会に通っていることを覚えて「ええな、いまどき若いもんくせぇして。」おばあさんの耳が遠いので、牧師は大声で「おばあさんも教会へいらっしゃい。」すると「いやな、足が言うこときかんでなぁ」と言われました。「そんなら、これを読んでください。」と聖書の小冊子差し出すと、「いや、いや目がかすんでな。こまこい字なぞ到底読めんですわ。」それなら、牧師は読みはじめました。「よう聞こえんわさ。」そこで大声で、「これなら聞こえますか」と聞いたら、「聞こえることは聞こえるけんど。もうアタマのほうが老いぼれてあかん。新しいことはわかろうとは思えんわ。」 「あんたの熱心、親切はよーくわかるけど、この年令になって新しい筋道はようわからん。わしら、これでいいのや。このままジジババ二人暮らしで死にますんや。ほんにありがとうさん。」。。。その頃からー年たったら、その牧師が訪ねてみたら、洪水で駅のあたりは押し流されて一変していました。ジジ、ババの家もありませんでした。。。若い日に伝えたら、若い日に造り主とイエス・キリストの尊い福音を覚えてくれたら。。。

どうして「若い日に。。。創造者を覚え」るのですか?死でさえ「空の空」だからです。死を含める「すべては空」だからです。行きている間神抜きで過ごすことは、空しいですが、それ以上に、神抜きで死ぬとより空しいです。ですから、若いうちに、人生に意義を与える創造主に出会うのです。彼が人生に真の喜びを下さいます。小畑進牧師は、こう言っています。「若い日からタップリと創造主のたなごころで、苦楽、悲喜ともに充実した人生を、との勧めでした。

「あなたの若い日に創造者を覚えよ」は、やはり、十字架の愛を覚えさせておきたいのです。造り主は、活きる意義を下さいます。でも、造り主がこの世に来て、その活きる意味を勝ち取って下さいました。私たちの空しさと死と引き換えに、御自身の意義と命を私たちに下さいました。私たちの死ぬべき死を代わりとなって死なれたのは、あの主イエス・キリストです。十字架の恵みを覚えて、信じて、仰いで、この意義と豊かな命を無償で頂けるのです。誰でもですが、特に、若い時に神を覚え知ることによって、真に人生を喜び楽しめるのです。

Monday, September 23, 2013

命がけであなたを救われた方。。。



昔アメリカにある少年がいました。彼は早くに両親をなくし、祖母と二人で住んでいま した。ところが二人が住んでいる家が火事になってしまったのです。祖母は少年を助けようと2階に上がり、炎に巻き込まれ死んでしまいました。取り残された少年は2階から助けを求めました。ところが火の手は大きく、集まった人々もどうにもできません。ある男が家の周りを良く観察すると2階まで届いている鉄パイプを見つけました。彼は焼けただれた鉄パイプを昇りました。男はその少年を見るとしゃがんで背中を見せ言いました。「私につかまりなさい」その背中に少年がしがみつくと、男は再び焼けた鉄パイプを降りてその子を助けたのです。  

数週間後その少年の保護者を決定するために村の集会場で話し合いの時がもたれました。初めに農場主が立ち上がり言いました。「私は大きな農場をもっています。子供がのびのび遊ぶことができます。」次に教師が言いました「私は教師です。家にはたくさんの良い本があります。その子に最高の教育をほどこすことができます。」村一番の金持ちが言いました。「私の家は広く。立派な庭ももっています。家庭教師を雇い、その子に十分 な教育をほどこすだけでなく、おもちゃ、旅行などたくさんの楽しみを与えることができ る。」次に村一番の名主、有力者が言いました。「私の家の子供になることが誰にとって も名誉なことではないでしょうか?」 

しかし、少年は顔を顔を上げません。一人の男が静かに後ろのドアから集会場に入ってきました。男は黙って少年の前に立ちます。少年は顔を上げました。その男の顔に見覚えが あるようですが、思い出せません。男はそっとポケットからその両手を出し、少年に見せ ました。その手のひらにはひどいやけどのために出来た傷跡がありました。その両手は命をかけて、焼けた鉄パイプを上り下りした痕跡を留めていたのです。少年はそれを見ると男に飛びつき、ひしとすがりつきました。 農場主が去っていきました。教師が、金持ちが去っていきました。有力者が去っていき ました。最後に少年と男の二人が残りました。

わたしはこの話しが本当にあったことなのか知りません。しかし、ある真実を的確に指し示しています。私たちの多くが何と教育や暮らし向き、お金、地位などに惑わされ、それらを得る計画によって一生を費やしていくものでしょうか。それらのものは声だかに叫びます。『これこれのものがあれば幸せになれる!それがあなたの希望だ!』と。しかしあなたを焼き尽くす炎から助け出されたお方はいつもその両手をあなたに見せ、あなたに対するご自身の権利、主張を思い起こさせるのです。命がけであなたを救われた方、イエスさまはご自身のいのちを身代わりにし、わたしたちを神の子、神の養子としてくださいます。私たちの足下には地獄の炎が燃えています。そのままであれば、いずれあなたはこの世とともに焼き尽くされてしまうでしょう。しかしあなたのために命をかけて救いに来られ た方がおられるのです。その方にすがりついてください。あなたが真にその方のものとなるのが神の計画なのです。


「彼(イエス・キリスト)はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」聖書・イザヤ53:3−5

Sunday, September 22, 2013

愛の「筋トレ」ゼミ



講師陣内師

安曇野ファミリーチャペルで

小グループで意見交換

「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」聖書・1ヨハネ4:20 

Saturday, September 21, 2013

チャレテーコンサート。。。昨日



豊科近代美術館で

過去の日本のクリスチャンリーダーの像。 
内村鑑三&新渡戸稲造

陣内師は、ある理科の多くのネーズについて語りました。

フルート


Friday, September 20, 2013

「神の計画は破れて成る。」



「世に用なき者にして人の計画の如きはあらず。そはこれ一つも成るものにあらざればなり。成るものは神の計画なり。地のの置かれし前に定められし神の計画なり。人の計画は成って敗れ、神の計画は破れて成る。故に賢き人は計画を立てず、ひとへに神の聖旨を知らんと欲す。愚かなる者は計画に満ち、自ら神に代って世を済度せんと欲す。策士これ愚人なり。その政治家なると宗教家なるとは、余輩の問ふところにあらざるなり。」内村鑑三 

「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。」聖書・箴言19:21

Monday, September 16, 2013

自分の永遠性



「(人間の)自分についてのこと、自分の永遠性、自分の全て、これらについての不注意に対して、私は哀れみではなく、怒りを感じる。これが私を驚かせ、ショックである。私にとって残酷である。」ブレーズ・パスカル

“This carelessness in a matter which concerns themselves, their eternity, their all, moves me more to anger than pity; it astonishes and shocks me; it is to me nonstrous.”

「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのち(魂)を損じたら、何の得がありましょう。そのいのち(魂)を買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」イエス・キリスト、聖書・マタイ16:26

Sunday, September 15, 2013

小岩井家と一緒



昨晩、ジャンカー家が小岩井家と一緒に、
COWBOY家族(ステーキハウス)。上は、小岩井牧師。

Friday, September 13, 2013

運動会



並柳小学校で。

Hosahnaが右。

Shane(4番)がかかり。

棒倒し。本当にバトルします。シーンがどこかにいます。

Thursday, September 12, 2013

野辺山で「退いた」



ここでリラックスしたり、本読んだり。

マンションから八ヶ岳を見る。

聖書と祈りの一時。

 小学生が野菜売り。
このあたりは農家ばかり。良いねー!

Sunday, September 8, 2013

豊かな命教会の礼拝。。。



昨日の9月8日

 SETHの20人の家族も来てました。

JON兄がメッセージ。

「自分のいのちを自ら救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。 人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。」イエス・キリスト、聖書・ルカ9:24−25


Thursday, September 5, 2013

礼拝の後の豊かな命教会。。。



 握手タイム。。。城さんと。

国際的。。。ブラジル(上)、アメリカとアルゼンチンから。

お昼を一緒に。。。先週の日曜日。

Wednesday, September 4, 2013

「オオムラサキ」



この「オオムラサキ」が私たちの教会のアパートのドアの外にアユからでました。
マユがワイアーにまだくっついています。