Thursday, October 19, 2017


「私たちは、自分のポケットの中に彼(キリスト)ご自身の釘をもっているのです。」マルテン・ルター

英訳 ”We all carry about in our pockets His very nails.” Martin Luther

ということは、私たち一人一人の自己中心などの罪がイエス・キリストを十字架につけたのです。

左写真は、映画『パッション』の一場面です。監督メル・ギブソンが自分の手で釘を持って、キリストに打ち込んでいます。彼は、自分の罪がキリストを十字架につけたのである、と証ししているのです。

また、聖書のルカ23:34でこうあります。十字架にかけられたイエスは「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているか分からないのです」と叫びました。

自分の罪を認め、イエスとその十字架を信じ受け入れる者は、罪が赦され、神の絶大な愛の対象となるのです。十字架の愛によって変えられます。

主イエス・キリストとその救いを体験して下さい。

Wednesday, October 11, 2017

「ダンケルクの奇跡」


歴史の大好きな私は、歴史の好きな長男、ジャシュア、と一緒に映画『ダンケルク』を見に行きました。とても良かったです。

1940年の5月、ヨーロッパの第二次世界大戦のはじめの頃です。ナチスは、すごい勢いで、西のフランスやベルギーのほうに攻めて行きました。ダンケルクという町を囲みました。フランス軍やイギリス軍を絶滅に追い込むことは出来たのです。でも、不思議に将軍達に反対し、ヒットラーが前進を止めたのです。

英国首相ウィンストン・チャチルは、イギリス本土への撤退を命じました。でも、せいぜい300,000人の中から20,000人が逃れると思いました。脱出の為に多くの大きな船から小さな船まで国民にお願いしました。渡った時、ドーバー海峡は、不思議に静けさがありました。

不思議に、ちょうどそのころ大陸のほうでは、嵐があって、ナチスの飛行機は、飛べなかったのです。後、ダンケルクの港や砂浜を攻撃しました。撃たれそうになった時も、イギリス軍の負傷者は、比較的に少なかったのです。結果的に、フランス軍人を含めて、335,000人の兵士が再び戦えるように無事英国に帰りました。

これは「ダンケルクの奇跡」とも言われています。なぜこのようなことが起こったのでしょうか?英国の方は「神に祈ったから」と言いました。

イギリスの国王ジョージ4世は、敬虔なクリスチャンだったそうです。彼は、日曜日の5月26日を「国の祈りの日」(National Day of Prayer)にするように命じました。全国民が教会に行って祈ったのです。国王は、ロンドンのウェストミンスター・アビ教会で礼拝しました。。。そして、この祈りは、聞かれたのです。

「ダンケルクの奇跡」の次の日曜日、6月6日(日)「感謝の日」を持ちました。それで、会衆と聖歌隊は、次の詩篇124編を歌ったのです。後半を読んで下さい。

ほむべきかな。主。
主は私たちを彼らの歯のえじきにされなかった。
私たちは仕掛けられたわなから鳥のように助け出された。
わなは破られ、私たちは助け出された。
私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。


Sunday, October 1, 2017

「すべての人は、罪を犯したので….」



ある時、一人の泥棒が捕えられ、王の前に引き出されて死刑の宣告を受けた。すると彼はふところから一枚の金貨を取り出し、「王様、実はこの金貨は、一度も悪いことをしたことのない人が土に埋めると、金のなる木がはえるのです。ところが、ところが、私は悪いことばかりして、とうとう植えることができませんでした。王様なら罪はないでしょう。これを一つお植えになって見て下さい。」

王は身震いをはじめた。そしてすぐ総理大臣を呼んで命じた。「お前は本当に忠義な部下だ。お前が植えるのがよかろう。わしは今まで、殺さなくてもよい人を殺したり、取らなくてもよい国を取ったり、考えてみれば悪いことばかりしてきた。」「ちょっと王様、お待ち下さい。私もあなたと一緒になって同じようなことをして来ました。また、数多くの人々から税金を余分に取りたてていました。私もだめなのです。」

次の呼ばれたのは警視総監であった。「お前は人をさばく役柄、まちがいなかろう。うえてくれないか。」「おゆるしゅください。私も人をいじめたり、不正なさばきをいたしました。ゼウスの神主なら神に使えているから、間違いないでしょう。」

ゼウスの宮の神主が呼ばれて来た。彼も王の前に出ると青い顔をして、おそるおそるいった。「私はよく採金をごまかしたのです。」

その話しを一部始終なわにくくられたまま聞いていたかの泥棒は、大笑いしていった。「みなさん、私と一緒に死刑になったらどうでしょう。」

「多かれ、少なかれ、私たちは、罪を犯して来た。」ルキウス・アンナエウス・セネカ

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」聖書・ローマ3:23−24