Sunday, January 28, 2018

「小羊なる主の招きに応えて」



ある小さなボーヤは、彼の妹のために献血したら、彼女の命は救われる、と言われました。その6才の女の子は、死ぬ寸前でした。男の子は、2年前、同じ病気で奇跡的に回復したのです。彼女の回復は、彼の特殊な血液タイプにかかっていました。彼は、理想的なドナーでした。医者はこう聞きました。「ジョニー、マアリーのために血を上げたいか?」ボーヤは、戸惑いをみせて、下唇が震えました。でも、すぐに、にこっと笑って、言いました。「良いよ、先生。妹のために血を上げるよ。」2人の子供が手術室に運び込まれました。メアリーは、細くて、ジョニーは、たくましかったのです。無言でしたが、目を合わせたら、ジャニーは、笑顔でした。献血していた時、彼女の疲れた体に命が流れ込むようでした。終わったら、ジョ二—は、勇気を持って「あの、先生、私は、いつ死ぬの?」と小さの声で言いました。医者がその時はじめて分かったのです。ジョニーの戸惑は、ジョニーの死ぬ覚悟でした。献血したら実際に命を捧げるつもりでした。彼は、その瞬間、すごい決断をしていたのです。

「この方(主イエス・キリスト)にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」聖書・エペソ 1:7 

先ず、イエス様は、私たちのために十字架に向かって行く時、ものすごい決断をしたことを知る必要があるのです。「私の死によって、彼らを救う。」その結果、主の命によって、私たちに命が与えられるのです。でも、私たちも、イエス・キリストを受け入れる時、「死ぬときまで、私は、主よ、コミットし、お委ねします」と決断するのです。キリストの犠牲への真実な応答です。

福音讃美歌299小羊なる主の招きに応えて」賛美歌299を聞く
1、小羊なる主の招きに応えて、少しも飾らず、御許(みもと)に行きます。2、心の汚れを除いてくださる、血潮を見上げて、御許に行きます。3、疑い恐れに心が揺れても、そのまま委ねて、御許に行きます。4、すべての傷跡癒してくださる、御霊を求めて、御許に行きます。5、この身を受けとめ清めてくださる、約束信じて、御許に行きます。6、限りない愛に、妨げ除かれ すべてを捧げて 御許に行きます。7、注がれた愛の深さを訪ねて、小羊なる主の、御許に行きます。

Wednesday, January 24, 2018

『人に従うより、神に従うべきです。』


第二次世界大戦、ナチスに抵抗する事は、大変な事でした。特に、小さなデンマークの国は、そうでした。国境がドイツに面しているデンマークは、一日で圧倒されました。国は、降参しました。しかし、少しづつ地下で反抗する個人や組織が動きました。でも、ナチスが「ユダヤ人を処分する」と決めた時、デンマークの国中が立ち上がりました。

ある牧師は、こう言いました。「クリスチャンは、アンチユダヤ人的なひねくれた考えに立ち向かって、先頭に立って、戦います。」他の牧師は、こう言いました。「ナチと共に生きるよりも、ユダヤ人と共に死んだほうがましだ。」また、他の牧師は、アンチユダヤ人的な考えに反対して「教会は、根気強く」働かなければならない、と言いました。デンマークの国王クリスチャン10世は「自分の国では、ユダヤ人に対して差別ない、ユダヤ人の印である『ダビデの星』を自分も付けても良い」と言いました。(この印をナチスによって付けられて、ヨーロッパで、6,000,000人以上のユダヤ人が収容所に送られ、殺されます。)

デンマークの司祭は、1943年10月3日、このような事を教会で読みました。(省略)私たちの国では、信教の自由がある。私たちは、ユダヤ人である兄弟姉妹のために戦う。権威に対して反対したくはないが、法律により人権のために反対(protest)する。「私たちは、人よりも、神に従う。」ヒットラーにこれを送ったそうです。(省略)主イエス・キリスト、マリヤは、ユダヤ人である。ユダヤ人の迫害は、聖書の「隣人愛」に反している。皆は、神にとって尊い。私たちは、ユダヤ人のために戦う。法律に従いたいですが、正義のために反対(protest)し、『人より、神に従う」。

デンマークのユダヤ人7,000人以上が逃れようとした時、多くのデンマーク人が犠牲を払い、立ち上がりました。その結果、コペンハーゲンとスウェーデンのオーレ海峡を渡って、95%が助かりました。

聖書・使徒5:29「ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。『人に従うより、神に従うべきです。』」日本でも、権威によって、誰かの迫害が起きたら、クリスチャンは、先ず、祈りべきです。出来るだけ権威に従いたいですが、でも反対する時が来る可能性があります。無関心は、極めて危ないです。「我々の人類に対する最大の罪は、… 無関心であること。それは非人間性の精髄である。」デンマークの方や、杉原千畝 のように人々を助けるのです。

Monday, January 15, 2018

「キリストの愛を知る」


聖書・エペソ3:17−19「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。」


正直であれば、私たちは、皆、愛に飢えています。子供は、どんなに愛されていても、もっと愛が欲しいのです。でも、子供だけではなく、大人は(隠すのは、上手ですが)同じように愛に飢えているのです。

17節後半、私たちは、すでにキリストの「愛に根ざし、愛に基礎を置いてい」ます。愛を知っていますが、私たちは、その圧倒的な素晴しさを味わっていないのです。どの位の素晴らしさですか?18節後半「その広さ、長さ、高さ、深さ 。人知をはるかに越え」る愛です。この愛を掴み、捕らえたくはありませんか?

ニューヨークでDLムーティーは、このような体験をしました。「突然神は、忘れられないようなふうに下って来ました。(神の)愛があまりにも心に注がれて『止(と)めて下さい』と言わなければなりませんでした。」

ジョージ・ウィットフィルドは、夜祈る時、神の愛の注ぎをあまりにも体験し、眠れなかったことで「主よ、止めて下さい。眠れないです」と言わなければなりませんでした。

ロンドンのCHスポルジョンは、神の愛についてこう書いています。「ある時、神の愛をあまりにも強く体験し、耐えられなかったから、その喜びを止めるように、お願いしなければならなかったのです。」

スペインのアビラのテレサは、こう書きました。「私は、彼の愛に当惑し、酔ってしまいました。私の魂は、叫び、戸惑いました。こんな喜びには、耐えられませんでした。」

違う時代、文化、性格、伝統の方々が同じキリストの愛に圧倒され、「止めて下さい」まで言わなければならなかったのです。キリストの愛を体験しましょう。

ローマ5:5、8「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。。。しかし私たちがまだ罪人(または「敵」、10節)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」

もっと読む「主を体験する」

Tuesday, January 9, 2018

最大の罪



「我々の人類に対する最大の罪は、彼らを憎むことではなく、無関心であること。それは非人間性の精髄である。」ジョージ・バーナード・ショー

イエス・キリストの例えを読んで、聞いて下さい。ルカ書10:25− 37

Thursday, January 4, 2018

年末年始は香川へ


親戚に会い、うどん食べたりしました。

高松シオン教会や、上の高瀬キリスト教会で礼拝。

帰りの明石大橋

今年、考えて欲しい聖句。マルコ8:36「人は、たとい全世界を得ても、魂(いのち、本当の自分)を損じたら、何の得がありましょう。」主イエス・キリスト