Wednesday, July 17, 2013

阿寺渓谷



阿寺渓谷、7月13日

冷たかった。私以外の四人。

ジャシュアとシェーン

阿寺渓谷の案内図 松本から2時間。

Sunday, July 14, 2013

完全な無限なかた


「我々の意識や思考の中に、完全とか不完全とかがある以上は、どうしても完全な無限なかたがいなければならない。」ルネ・デカルト

「初めに、神が天と地を創造した。」聖書・創世記1:1

Thursday, June 27, 2013

わたしは神を探している



フランスの画家ポール・セザンヌ(1839〜1909)は、ブロヴァンスにおいて風景を写生しながらつぶやいていた。「わたしは神を探している。。。。」

「神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。」聖書・使徒の働き17:27

Tuesday, June 25, 2013

礼拝


6月16日、豊かな命教会での礼拝

小堀兄の司会

家内奈帆の奏楽

小岩井師のメッセージ

城兄の子供の指導

御子(イエス・キリスト)は、見えない神のかたちであり、
造られたすべてのものより先に生まれた方です。
なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。
天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、
王座も主権も支配も権威も、
すべて御子によって造られたのです。
万物は、御子によって造られ、
御子のために造られたのです。
御子は、万物よりも先に存在し、
万物は御子にあって成り立っています。
また、御子はそのからだである教会のかしらです。
御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。
こうして、ご自身がすべてのことにおいて、
第一のものとなられたのです。
なぜなら、神はみこころによって、
満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、
その十字架の血によって平和をつくり、
御子によって万物を、
御子のために和解させてくださったからです。
地にあるものも天にあるものも、
ただ御子によって和解させてくださったのです。
聖書・コロサイ1:15−20

Sunday, June 23, 2013

「重荷を負う者、我に来たれ」


詩画作家の星野富弘さんがまだ高校生だった頃、家の近くに十字架の墓が建てられた。富弘さんは家の農作業の手伝いをするときに、たい肥の入った大きな籠を背負ってたびたびその前を通った。その十字架には「労する者、重荷を負う者、我に来たれ」と書かれていた。まだ聖書を知らなかった富弘さんは、これはどういう意味だろうかと考えた。「この言葉は、俺のように重い荷物を背負った人のことかな」とも思ったが、しかしそこに記された「我に来たれ」の「我」というのが誰のことなのかはわからぬまま長い年月が過ぎ去った。


しかしあの大きな事故の後、ベッドに寝たきりの生活の中で聖書を読むようになって初めて、「ああ、あれはキリストの言葉だったのか!」と気づいたと言う。富弘さんはその時初めて、あの言葉「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところへ来なさい」(聖書・マタイ11:28)を、キリストの言葉、神の言葉として見上げたのである。ここからクリスチャンとしての富弘さんの新しい人生が始まったのである。


星野富弘さんの「いのちより大切なもの」より

Wednesday, June 19, 2013

Story of Hope



小谷雅人のMy Story of Hope(希望の話し)をVimeoで見て下さい。ここクリック:Vimeo

小谷さんは、3.11の東日本大震災の被害者の一人で、希望を見いだしました。イエス・キリストは、彼のために特別な事をして下さいました。生きる喜びを下さいました。

「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。」聖書・詩篇42:5

東北の方を忘れないで下さい。

Tuesday, June 18, 2013

この上もない完全なことがら


「神(造り主)を必要とすることが、人間にとってはこの上もない完全なことがらなのである。」セーレン・キルキゴール

「すると、パリサイ人やその派の律法学者たち(宗教家)が、イエスの弟子たちに向かって、つぶやいて言った。『なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもといっしょに飲み食いするのですか。』そこで、イエスは答えて言われた。『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。』」聖書・ルカ5:30−32