Wednesday, May 30, 2012

松本城、again



中を見学しました。ジャシュアは、日本のお城の「専門家」です。

「わが力よ、わたしはあなたにむかってほめ歌います。神よ、あなたはわたしの高きとりでです。」聖書・詩編59:9 

Sunday, May 27, 2012

「神はいない」


「神はいない。荒涼とした、沈黙の虚無。冷たい永遠の欠落。狂気の偶然。この広大な宇宙の死体置き場にあって、私たちひとりひとりは何と孤独なのだろう!」ジャン・ポール・サルトル

愚か者は心の中で、
「神はいない」と言っている。
彼らは腐っており、
忌まわしい事を行っている。
善を行う者はいない。
主は天から人の子らを見おろして、
神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。
彼らはみな、離れて行き、
だれもかれも腐り果てている。
善を行う者はいない。ひとりもいない。
不法を行う者らはだれも知らないのか。
彼らはパンを食らうように、
わたしの民を食らい、
主を呼び求めようとはしない。
見よ。彼らが、いかに恐れたかを。
神は、正しい者の一族とともにおられるからだ。
おまえたちは、悩む者のはかりごとをはずかしめようとするだろう。
しかし、主が彼の避け所である。
ああ、イスラエルの救いがシオンから来るように。
主が御民の繁栄を元どおりにされるとき、ヤコブは楽しめ。
イスラエルは喜べ。
聖書・詩編14

この聖書の言葉は、痛いですね。都合良い言葉ではないですね。聖書は、人間について「きれいごと」を言わないのです。真実です。彼らは、なぜ「腐っている」のでしょうか?「忌まわしい事を行っている」のです。行いが神の御心から遠いのです。後でこう書いてあります。「彼らはパンを食らうように、わたしの民を食らい」と書いてあります。また、彼らは「悩む者のはかりごとをはずかしめようとするだろう」とまたあります。「神がいない」と思うから、神に服従せず、チック機能が働かず、残酷で野蛮です。共産圏の旧ソビエト、中国、や現在の北朝鮮にこの野蛮さが見えます。この無神論の国で89,000,000が殺害されたと言われています。余りにも余りにも多くの人が殺害されています。


しかし、私は、自分の心にもこの可能性を感じます。「神様を知っている、信じている」と言いながら、自分の心、言葉と行動が伴っていないときが多すぎます。信じていると言いながら、心に心配が多いです。言葉で人を傷つけます。自己中心な行動は多すぎます。頭で知っている知識が心に深く入る必要があるのです。「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」聖書・1ヨハネ 4:20  マルテン・ルターはこう書きました。「私たちの主イエス・キリストが『悔い改めよ』と言われた時、悔い改めが信者の生涯の全てである、と言われました。」全ての人(Nonクリスチャンも、クリスチャンも)を悔い改めに招いているのです。


神と人を大事にしない私たちに希望があるのでしょうか?ジャン・ポールが言うようには、私たちは「孤独」ではないです。造り主がいるだけではなく、存在する神は「希望」を下さるのです。「主が彼の避け所である」と書いてあり、「救いが来る」とも書いてあります。確かに、主イエス・キリストが希望を与える救い主です。私たちが永遠に裁かれないように、十字架上で代わりとなって裁かれました。なぜなら、私たちの不信仰の罪、人を愛さない罪を負っていたからです。そして、私たちは、信じる信仰によって、救われ、神ご自身を体験するのです。そして、人を愛する者に変えられます。

Saturday, May 26, 2012

安曇野ファミリーチャペル



先週の日曜日、20日、安曇野ファミリーチャペルで聖書・ヘブル10章から「キリストの犠牲による赦し」についてメッセージしました。私の親がこの教会をはじめ、ジャン兄と小岩井牧師が立て上げています。。。せひ、訪ねて下さい。

メッセージの一部。。。「そして(イエス・キリスト)自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」聖書・1ペテロ 2:24

Friday, May 25, 2012

存在する全ての中心は?


「私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。」聖書・1コリント 8:6


強情なひざよ。かがめろ!」ウィリアム・シェイクスピア

Wednesday, May 23, 2012

その方は、いったい誰でしょう。


「余りにも多くの人々に受け入れられている進化論によっては、生命の起源に関して倫理的な回答は得られません。なぜなら、すべてのこと、魂、意識、そして細胞内の膨大な情報までを、進化論はただ物質でしかないと、主張することは知っています。科学的には情報は部室ではないことを私たちは知っています。情報に関する自然法則によれば、情報は、常に知的な起源、すなわち、意思を持った情報を発した方がいることは明白です。創造のみわざにおいて表された知性と知恵は、まさに驚異的なものです。これらのことを思慮すると、設計なさったものに対して責任を負われる方、独創的な設計者(創造主)が存在しておられるに違いないと結論せざるを得ません。その方は、いったい誰でしょう。」ヴェルナー・ギット教授Dr.Werner Gitt

『神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配(支えて配る、管理する)せよ。」』創世記 1:27−28

Monday, May 21, 2012

ソン・ソルナム



5月13日、私たちは、松本の地域教会とともにソン・ソルナムを迎えました。素晴らしかったです。ジャンカー家は、今年のはじめ頃、善通寺バプテスト教会ですでに聞いていました。彼は、ジュリアード卒で、「イ・サン」を含む韓国ドラマの主題曲などを作曲演奏したり、60回以上震災地東北でコンサートして来たりしています。彼は、日本に住み、音楽などを通して日本人に仕えることを望んでいるそうです。。。奈帆もフルートを吹くので、特別な時でした。

聞いて下さい。涙が出ました。東日本大震災復興支援 ソン・ソルナム フルートコンサート - YouTube


ハレルヤ。
神の聖所で、神をほめたたえよ。
御力の大空で、神をほめたたえよ。
その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。
そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。
角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。
十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。
タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。
緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。
音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。
鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。
息のあるものはみな、主をほめたたえよ。
ハレルヤ。
聖書・詩編150

Thursday, May 17, 2012

驚くべきものに造り上げられている。


「生きた細胞は、人が作ったどんな機能よりもはるかに複雑、かつ精巧に造られています。その中には何千もの科学操作がプログラムに従って同時に行われており、それがすべて互い統合されて働いています。
生きた細胞内のDNA分子には、ぎっしりと情報が詰め込まれています。ピンの頭くらいの部分に詰め込まれたDNAの情報量は何冊の本に相当すると思いますか?15兆冊です!もし、この数多くの本を積み重ねると、地球から月への距離の500倍もの高さ、つまり384,000キロメートルにもなります。」ヴェルナー・ギット教授Dr.Werner Gitt

「わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって、驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか、わたしの魂はよく知っている。」聖書・詩編139:14

Tuesday, May 15, 2012

母の日



13日、私たちの豊かな命教会で母の日をお祝いしました。

私は「情け深いあわれみ深い神」について聖書のヨナ書からメッセージしています。最後に母の引用を語りました。「自分が恵みによって生かされているから、他の周りにいる方もその恵みを味わいますように願います。」

Sunday, May 13, 2012

この罪人の私



「私は、外から来るものよりも、私の内にあるものをより恐れている。」マルテン・ルター

”I more fear what is within me than what comes from without.” 

ルタは、自分の心に秘めていた罪を最も恐れ、悔いていたのです。でも、キリストの十字架により、豊かな赦しと恵みが罪人のためにあるのです。

 「神よ。この罪人の私をあわれんで下さい。」聖書・ルカ18:13

Thursday, May 10, 2012

雑誌「Hoop」が語るジェレミー・リン


『信心深さは彼(ジェレミー・リン)の人格の大きな特徴だ。よく「私は自分のためにプレイしているのではない」と口にするリンにとって、彼の能力は神(イエス・キリスト)に捧げられるものであり、その考え方があればこそ周囲をレベルアップされるプレイができるのだと、私は思う。試合で勝利を手にした時、彼は、チームメイトをたたえる。そして破れた時、まず自分の未熟さを顧みる。「”リンサニテイ”の前と後で、ニックスは変わった」と、チームメイトのステイブ・ノバックが私に話してくれたことがある。どこが?ー「彼の無欲でひたむきな態度が、チーム全体に伝播(でんば)しているんだ。」リンがコートにいる時、ニックスにはあたかも新たな命が吹き込まれたかのような力がみなぎっていた。引き離された試合でも、ジェリミーの魔法のような大活躍が幾度となくニックスに勝利をもたらした。リンが最高のポイントガードと言ったら、ほめすぎに違いない。しかし全身全霊を込めて戦いに挑む姿は、見る者すべての心を動かしたのである。』


Jessica Kung
translated by Takeshi Shibata


もっと読む:ジェレミー・リン


「。。。何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」聖書・1コリント10:31

Tuesday, May 8, 2012

ニック・ブイチチ



ニック・ブイチチは『両手両足がなく、鶏のような小さな足と指があるだけ。このような境遇に生まれた彼は人生をのろいますが、­ある時神に愛されていると気がつくのです。それから彼は各地を回り、沢山の子供達を励ましています。100回倒れても、起き上がればいいんだ!静かに自らの身体を使って子­供達に伝える姿は、何度見ても感動があふれます。最後に「奇蹟を毎日祈ってる。でも、今のままでも十分幸せだ!」と答える言葉に不思議と羨ましさを感じました。』彼は、映画にも出ています(公式サイト:The Butterfly Circus、英語)。また、日本のテレビで放送され(YouTube、日本語)、神戸で自分の希望を語ります(YouTube、韓国語、日本語字幕)。彼は「意味があって生まれた」と言うのです。

「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。。。神を待ち望め。。。御顔の救いを。」聖書・詩篇 42:5 あなたにもイエス・キリストとその十字架と復活にある希望を。



Friday, May 4, 2012

なんとなく気が付いているのではないでしょうか?



「生命が維持されるためには、通常、通常の内臓器官、例えば心臓や肝臓や腎臓などが完全に機能することが必要です。また発達の途中にある臓器や、中途半端に発達した臓器は、ほとんど役には立たないのです。つまり、将来の目的や機能に対応することができるように臓器が定まった方向へ発達するとういう進化論的な考え方が全く通用しないことは、ダーウィン思想を信棒するほとんどの人々も、なんとなく気が付いているのではないでしょうか?」ヴェルナー・ギット教授(Wikipedia: Dr.Werner Gitt

「初めに、神が天と地を創造した。。。神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」聖書・創世記1:1、27

Thursday, May 3, 2012

参観日


4月25日と5月2日、私たちの学校(開成中&並柳小)で参観日。

Hosahna(4年)の絵ー桜。親ばかですが、彼女の絵が一番良かった。

Shane(5年)が左。

あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。子どもたちよ。主(イエス・キリスト)にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする」という約束です。父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。』聖書・エペソ5:33−6:4 

*先に来る文書に注目して下さい。先ず、夫婦間の愛があって、子供への愛があるのです。子育ては、親子関係からはじまるのではなく、夫婦の敬愛からはじまります。

Tuesday, May 1, 2012

「空の空」15



『私はこのむなしい人生において、すべての事を見てきた正しい人が正しいのに滅び、悪者が悪いのに長生きすることがある。あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。悪すぎてもいけない。愚かすぎてもいけない。自分の時が来ないのに、なぜ死のうとするのか。一つをつかみ、もう一つを手放さないがよい。神を恐れる者は、この両方を会得している。知恵は町の十人の権力者よりも知恵者を力づける。この地上には、善を行い、罪を犯さない正しい人はひとりもいないから。人の語ることばにいちいち心を留めてはならない。あなたのしもべがあなたをのろうのを聞かないためだ。あなた自身も他人を何度ものろったことを知っているからだ。私は、これらのいっさいを知恵によって試み、そして言った。「私は知恵ある者になりたい」と。しかし、それは私の遠く及ばないことだった。今あることは、遠くて非常に深い。だれがそれを見きわめることができよう。私は心を転じて、知恵と道理を学び、探り出し、捜し求めた。愚かな者の悪行と狂った者の愚かさを学びとろうとした。私は女が死よりも苦々しいことに気がついた。女はわなであり、その心は網、その手はかせである。神に喜ばれる者は女からのがれるが、罪を犯す者は女に捕らえられる。見よ。「私は道理を見いだそうとして、一つ一つに当たり、見いだしたことは次のとおりである」と伝道者は言う。私はなおも捜し求めているが、見いださない。私は千人のうちに、ひとりの男を見いだしたが、そのすべてのうちに、ひとりの女も見いださなかった。私が見いだした次の事だけに目を留めよ。神は人を正しい者に造られたが、人は多くの理屈を捜し求めたのだ。』聖書・伝道者の書7:15−29


私たちの教会に来た方は、このような質問を聞きました。「キリスト教は、性悪説ですか?性善説ですか?」その日、私たちの教会に来ていた牧師は、こう答えました。「両方です。」

ソロモン王は、この箇所で、おもに「性悪説」を取り上げます。が、最後に「性善説」にふれます。ソロモン王は、次の質問の問いに答えます。『なぜ私たち人間は、自分の義(正しさ)に頼らないのでしょうか?』

1。15−18、義人も、不幸にあうからです。いわゆる「義人」であっても、災害に、究極的には死に、必ずあうからです。著者は、けして『正しいことをするな』と言っていないのです。『自分の義を頼りにするな』と言っているのです。不幸の時、あなたの義はあまりにも頼りないのです。不幸の時は、正しいか、正しくないか、は関係ないのです。不幸は、皆に降り掛かることです。特に、正しい人に、不幸が降り掛かる時が多いです。

逆に「神を信じ恐れ敬えよ」とあります。神は、自分の弱い義より、ずっと頼りになれるお方です。

2.19−22、真の意味で完全に義人はいないからです。文字通り「この地上には、善を行い、罪を犯さない正しい人はひとりもいないから。」「知恵」または「義」は、とても素晴らしいです。しかし、ソロモンは面白い例えとお勧めを取り入れます。「あなたのしもべがあなたをのろうのを」“真に受けない”ない方が良いと言っています。なぜなら「あなた自身も他人を何度ものろったことを知っているからだ。」皆に課題(罪、過ち)があるからです。完全な人はいないから、自分の自らの義を頼りにしてはならないのです。

天に召された小畑進牧師は次のように書きました。「他人から何か云われたら、自分も他人のことを中傷していたことを忘れぬよう、と。いわゆる〈中傷企業〉社長にならぬよう。あなたと同じ者同士の仲なのだ、と。もの云えば唇寒しなのだ、と。」

3.23−26、「知恵」すなわち「義」は、私たちから遠いからです。ソロモン王は「知恵」を「試み、見きわめ、学び、探り出し、捜し求めた。」23節「しかし、それは私の遠く及ばないことだった。」ソロモン王は、中国の孔子以上の賢人でした。しかし、知恵を熱心に試みた彼は、真の知恵と義は、自分から「遠い」と分かったのです。

しかし「神に喜ばれる者」また、愛される者、恵まれる者は「悪」から「逃れ」、救われるのです。義が自分から遠くあっても、神が近ければ、それで良いのです。

使徒パウロは、こう告白します。『「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。』聖書・1テモテ1:15 彼は、宗教にどっぷりつかっていましたが、自分の体験をこう書きました。『私は以前は、(正しいことをしてたと思っていたが)神をけがす者、(教会を)迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。。。しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、(日本人を含める)今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。』そして、こう結ぶのです。『どうか、世々の王、すなわち、滅びることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄えとが世々限りなくありますように。アーメン。』罪人を救う神に栄光です!

4.27−28、文字通り「神は人を正しい者に造られたが、人は多くの理屈を捜し求めたのだ」からです。

「神に造られた時は、正しい存在だった。それなのに、屁理屈を並べたてて、ごまかし、堕落してしまっているー。これがわが伝道者第七章の答案でした。人は神に造られた時は正しかったが、やがてあれやこれやと理屈をひねって悪くなった。」小畑進

このように、神は、人間を造ったとき、人間は「非常によった」とあります(創世記1章)。「性善説」です。しかし、神に背を向いた時に人間は堕落したのです(創世記3章)。「性悪説」です。堕落した人間は、頼りない者です。神のみ真に頼れるのです。

先ほどの使徒パウロはこう語っています。「神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗く…神を知ろうとしたがらないので…彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を云う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。彼らはそのようなことを行なえば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行なっているだけでなく、それを行なう者に心から同意しているのです。」聖書・ローマ1:21−23

しかし、また「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です」とイエス・キリストは言いました。「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」聖書・ルカ5:31−32 イエス・キリストは、十字架上で、偽善者(自分が正しいともう人)の為に死なれたのでははく、罪人(自分の義に頼らない人)の為に死なれたのです。罪を認め、救い主イエス・キリストにすがりましょう。