「幕末のいわゆる志士のなかで明治の革命後の青写真、国の設計図をもった人は坂本龍馬だけであっただろうと思いますが、それは勝(海舟)という触媒によってできあがって行ったものでしょう。さらにいえば、(ヴェレム・)カッテンデーケが勝にとっての触媒だった。それが龍馬にうつされてゆく。」作家司馬遼太郎、「明治と言う国家」
勝海舟は、良くし知られていますが、クリスチャンだと言うことはあまり知られていますせん。勝は、咸臨丸でオランダ海軍の武官カッテンデーケにあいました。カッテンデーケを含めるオランダ人が船の上で「讃えよ神を」を心から歌っていた姿を見て、勝の心に何かが動いたのです。後に、勝は「讃えよ神を」を日本語に訳しました。これも知られていないことですが、1860年、遣米使節団がサンフランシスコに行った時、毎週のように勝は教会に出かけたそうです。彼は、天に召される数週間前に「私はキリストを信じる」と告白しました。
カッテンデーケは、何を信じていたのですか?オランダのクリスチャンの多くがハイデルベルク信仰問答を信仰の軸にしていました。その「問1」は、次のとおりです。「生きる時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは何ですか?」その「答」は、「わたしのからだも魂も、生きる時も、死ぬ時も、わたしのものではなく、わたしのほんとうの救い主イエス・キリストのものであることです。このお方は、ご自分の貴い血によって、わたしのすべての罪の代償を、完全に支払って下さいました。。。」もっと読む:ハイデルベルク信仰問答(楠原博行訳)
この福音がカッテンデーケを動かし、また勝を動かし、龍馬は知らなかったが、彼をも動かし、日本を明治維新へと動かしたのではないでしょうか?福音に全てを変える神の恵みがあるのです。私達の行いによってではなく、キリストの行いー十字架の愛ーによって、私達の罪が赦され、私達は変わりはじめます。この恵みによって動かされ、私達の生活全て、また社会国家まで変えられて行きます。そのような力が福音にあります。
「それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした。あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」聖書・エペソ2:7−10
「それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした。あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」聖書・エペソ2:7−10
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