内村鑑三は愛する娘—ルツ子—が重大になったとき、いっさいを笹尾鉄三郎にゆだねた。彼はルツ子をみちびき、彼女は、主イエスを信じ、信仰をもって世を去っていった。ルツ子は、鉄三郎によって復活の信仰をもったのだ。彼女は、「感謝、感謝!」といい、「もういきます」といって天に召されたのだった。
ブレーズ・パスカルが書いた本「パンセ」は『考えごと』という意味で、その内容は、キリスト教の真実さを証明するものでした。私は、皆さんに、神、聖書、イエス・キリストや人生について共に考えてほしいです。"都合悪い"ことも考えたいです。
Friday, July 25, 2014
「感謝、感謝!」
内村鑑三は愛する娘—ルツ子—が重大になったとき、いっさいを笹尾鉄三郎にゆだねた。彼はルツ子をみちびき、彼女は、主イエスを信じ、信仰をもって世を去っていった。ルツ子は、鉄三郎によって復活の信仰をもったのだ。彼女は、「感謝、感謝!」といい、「もういきます」といって天に召されたのだった。
Tuesday, July 22, 2014
「自分達がそんなに悪くない人だと思えば、恵みという概念は私たちを変えません。」ティモシー ケラー
"As long as we think we are not that bad, the idea of grace will never change us." Timothy Keller
「。。。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。。。恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」ローマ5:21
考:私たちが自分の罪が分かれば分かるほど、助けと恵みが無ければ成らない事が分かる。助け主は、唯一主イエスである。主は、私たちが罪のゆえに死ぬべき死を代わりに死んだ。また、3日目に復活した。今も、主を信じ求めるものに恵みを与える。それも、満ち溢れて。賛美!
"As long as we think we are not that bad, the idea of grace will never change us." Timothy Keller
「。。。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。。。恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」ローマ5:21
考:私たちが自分の罪が分かれば分かるほど、助けと恵みが無ければ成らない事が分かる。助け主は、唯一主イエスである。主は、私たちが罪のゆえに死ぬべき死を代わりに死んだ。また、3日目に復活した。今も、主を信じ求めるものに恵みを与える。それも、満ち溢れて。賛美!
Tuesday, July 15, 2014
福沢諭吉と神
福澤諭吉(1834〜1901)は、8才と6才になる長男一太郎、次男捨次郎のために、「日々の教え」を作ったが、その中でゴッド(God=神)のことを教えている。
「ひびのをしへ 一編 だい八」世の中に父母のながくいきてじょうぶなるは、子供のねがうところなれど、けふはいきて、あすはしぬのもわからず。父母のいきしには、ごっど の心にあり。ごっど は父母をこしらえ、ごっど は父母をいかし、また父母をしなせることもあるべし。天地万物なにもかも ごっど のつくらっざるものなし。子供のときより ごっど のありがたきを知り、 ごっど のこころにしたがうべきものなり。
『ひびのをしえ 二編 だい一』てんとうさまをおそれ、これをうやまい、そのこころにしたがうべし。ただし、ここにいうてんとうさまは、にちりんのことにはあらず。西洋のことばにて ごっど といひ、にほんのことばにほんやくすれば、ざうぶつしゃ(造物者)というものなり。
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」聖書・伝道者の書12:1
Tuesday, July 8, 2014
今もなお祈った。
「*ヨブが栄えていた時、祈った。彼が苦しんでいた時も、今もなお祈った。」ティモシー ケラー
"When Job was prospering, he prayed. When he was suffering, he still prayed." Tim Keller
"When Job was prospering, he prayed. When he was suffering, he still prayed." Tim Keller
『そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」』聖書・ヨブ記1:21
*西洋では「ヨブ」は、非常に苦しんだ人の象徴である。彼は、栄えた時も祈ったが、苦しんだ時も続けて縋って祈った。私たちは、神を御利益的に見ている時が多すぎる。自分が思う通りに成ると喜ぶが、思う通りに成らないと神を呪う。私たちは、神をただ使っているのである。天地を造られた神にとても失礼です。。。私は、こう思う。神は、頼るに値する真の助け主です。なぜなら、この神は、十字架上で、私たちが、自分の罪のゆえに、死ぬべき永遠の死を、代わりに死んで下さった。また、3日目に復活した。今も、私たちをかえりみて下さる。良い時にも、悪い時にも、常にすがり、祈りましょう。
Tuesday, July 1, 2014
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