ブレーズ・パスカルが書いた本「パンセ」は『考えごと』という意味で、その内容は、キリスト教の真実さを証明するものでした。私は、皆さんに、神、聖書、イエス・キリストや人生について共に考えてほしいです。"都合悪い"ことも考えたいです。
Tuesday, August 5, 2014
月面での聖餐式
45年ほど前、1969年6月20日、『月』に行ったニール・アームストロングと一緒にいたバズ・アルドリン宇宙飛行士は、こう確信しました。神と科学は、矛盾しないと。着陸した時、アルドリンがヒューストンのミッシオンコントロールにこう語りました。「ヒューストン、これはイーグル。。。LM(Lunar Module, 飛行船)のパイロットです。数分の黙祷をお願いします。。。」そして、無線をきりました。少したったら、イエスの言葉を引用しながら『月』で*聖餐式をお祝いしました。後で彼は、聖餐式についてこう語りました。「私は、パンとぶどう酒が入っていた包みを開け、私の教会が下さった杯にワインを入れました。引力の少ない月で、そのワインは、したやかに曲がりながら杯のはじを登りました。そして、この聖書の言葉を読みました。「私は、ブドウの木で、あなたがたは、枝です。誰でも私にとどまるなら多くの実を結びます。」そして彼は、詩編8:3−4を読みました。「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」
『月』に行った宇宙飛行士は、月や宇宙を見ながら、人間の小ささを告白しました。でも、また、創造主は、私たちを顧みて下さる、と確信したのです。何と言う愛でしょう。創造主は、人となり、十字架上で私たちの死ぬべき永遠の死を代わりとなって死んで下さり、救って下さいました。また、復活して下さいました。さらに、ここに、この教会に共にいて下さいます。素晴しい恵みです。人間の月面着陸が本当のように、十字架の愛も本当で、今も、ここで、本当に体験出来ます。。。主イエスとその贖いを実感しましょう。
「また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取って食べなさい。これはわたしのからだです。』また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。聖書・マタイ 26:26-28
参考:First Communion on the Moon
*聖餐式餐は、主イエス・キリストとその十字架を覚え、お祝いする教会の行事です。キリストとその十字架、その意義は、キリスト者の人生の全てでああります。教会で心にとどめて、生活の全ての中で生かされたいのです。またそこにある愛を示したいのです。
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