Wednesday, November 26, 2014

赤十字の創立者アンリ・デュナン


生きる原動力は、どこから来るのでしょうか?クリスマスのストーリーから教えられます。なぜなら、イエス・キリストは、死ぬために生まれたのです。私たちは、キリストの誕生、その死と復活によって、活かされるのです。

香川の四国新聞社によると、最近、家内の古里の香川県の坂出市の小学校で、子供たちが赤十字の創設者であるアンリ・デュナンを題材にした演劇をしたそうです。

若い頃のアンリの両親の影響は、とても強かったです。お父さんは、ジュネーブ孤児院の局長で、彼のお母さんは、その監督をしていました。敬虔なクリスチャンであった母は、社会活動を熱心にする教会に行っていました。アンリを連れて貧民街を定期的に尋ねたり、大勢の孤児を自宅に招いたりしていました。

アンリの学校の成績は「宗教」が良い程度で、あとの科目はそれほど良くありませんでした。彼の父親は、こう言ったそうです。「おまえが学問に熱中するあまり、私は人間社会に対する積極的な理想が、おまえの心から消え去ってしまうのではないかと心配している。」父の言葉を聞いたアンリは、その日から変わりました。彼は、スイスのジュネーブ市で活躍した宗教改革者ジャン・カルヴァンからは宗教者としての情熱を学びました。カルヴァンは、何よりも、主イエス・キリストとその十字架を強調していました。聖書・1コリント1:23「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」

後、彼は「愛の突撃隊」という組織をはじめました。貧しい子供などには新しい服をあげたりしました。そして、病人に、聖書を読んで、真実な望みをもたせました。彼は「木曜会」という聖書の学び会をはじめ、熱心に色んな国の若者達に福音—キリストーを語りました。それは、YMCAになりました。YMCAとは、Young Mens Christian Associationと言われ、青年や学生が共に聖書を囲んで集まったのです。今は、世界的な組織となりました。この日本にもあります。

彼は、イタリアのソルフェリーノの戦いで、看護婦や医者でもなかったのに、懸命に人に仕えました。そこから「赤十字」と言う組織を考え、後に設立しました。あの有名なナイチンゲールがデュナンの書物を読んで、赤十字創立の必要性を共に感じたのです。ジュネーヴ条約の作りにもとても貢献しました。

アンリは、ジュネーブ条約を果たしましたが、その後は、会議の成功と逆に、試練に満ちた歩みでした。慈善活動に尽くしすぎて、自分の会社が倒産しました。すごい負債を負うことになりました。一時、ホームレスにもなりました。デュナンはこう書きました。「こういう状態にあって私は初めて
不幸な人のために嘆くということの
本当の意味を学んだのです。」

彼は、前は、とても有名でしたが、姿が完全に消えました。しかし、ある良人ホームで見つかり、新聞に取り上げられました。アンリ・デュナン(73歳)に栄えある第一回ノーベル平和賞が与えられたのです。彼は、こう思っていました。「私は 神の手で動かされてきた
一つの道具にすぎない。。。」

「赤十字」もそうですが、よく病院に十字架が見えますね。もちろん教会にも。昔、西洋の病院のほとんどが教会によって運営され、カアされていました。

その十字架の意味は、次の聖句に出て来ます。聖書・1ヨハネ 4:10「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を(この世に、十字架上までに)遣わされました。ここに愛があるのです。」

聖書は、こう語っています。私たちは、初め、天地を造られた神に愛され、神を愛し、隣人を愛していました。しかし、神を愛し、隣人を愛するよりも、自分を愛し、物を愛するようになりました。神は、神を無視する人間を無視しないで、この世に来ました。これがクリスマスの意味ですね。でも、キリストは、死ぬために生まれたのです。イエスは、十字架上で、私たちが死ぬべき死を代わりに死んで下さったのです。ここに神の愛があるのです。これを信じ受け入れるのです。

クリスマスの“クリス”は、キリストのことですね。“マス”は、礼拝することですね。クリスマスは、キリストの誕生だけではなく、その死を覚えることによって礼拝する、という意味です。十字架に架かれたキリストを礼拝する事によって変えられます。

生きる人を愛の原動力は、ここから来るのです。キリストは、私たちが死ぬべき死を代わりに死んで下さったのです。ここに犠牲的な愛があり、愛の活動の源があります。キリストの死によって、私たちは、真に生きるのです。

赤十字もそうですが、地図を見ると、病院のマークは、十字架です。病院に関係する色んなもののマークは、十字架です。でも、このクリスマスをはじめ、その十字架の本当の意味を体験して欲しいです。

Wednesday, November 19, 2014

Friday, November 14, 2014

しかし、天皇を神として拝むことはできない。



明治24年1月9日のことである。内村鑑三が歴史、数学と英語を教えていた、努めていた第一高等学校(現在の東京大学教育学部)では、教育勅語の奉読式が行われた。日本中の学校で教育勅語とご真影(明治天皇と皇后の写真)を拝むように強制していいた。

教師が順番に前に出て、教育勅語に最敬礼をするのである。内村も前に進んでいった。

聖書のことばを思っていた。「ほふり場につれていかれる、ひつじのように、またもくもくとして、毛を刈る者の前に立つ羊のように、彼は口を開かなかった。」イエス・キリストは子羊のように、全ての者の罪を負って十字架につかれた。罪深いこのわたしのためにも、死んでくださったのだ。わたしもキリストのために死ななければならない、イエスさまのために死にたいと思った。

ご真影が目の前にあった。これを拝むわけにはいかない。日本を愛している。天皇を愛している。しかし、天皇を神として拝むことはできない。

内村は、軽く黙礼をした。

教頭先生がこういったそうだ。「こまる。。。、あんなことをしてはこまる。きみがキリスト教徒であることは理解しているし、敬意をもっているつもりだ。。。。しかし、そのような個人的な信仰で、公の儀式を軽んじるとは、けしからん。。。。学校には学校の立場もあるし。。。。、わたしには教頭としての責任もある。。。校長と相談して、きみの処遇をきめる。かえりなさい。。。。」

ペトロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。」』聖書・使徒の働き5:29

Wednesday, November 5, 2014

「私たちの道を尋ね調べて。。。」


「吟味されてない人生は、生きる価値はない。」プラトン

”The life which is unexamined is not worth living.” Plato

「私たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。。。私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。」聖書・哀歌3:40、22、23前半