明治24年1月9日のことである。内村鑑三が歴史、数学と英語を教えていた、努めていた第一高等学校(現在の東京大学教育学部)では、教育勅語の奉読式が行われた。日本中の学校で教育勅語とご真影(明治天皇と皇后の写真)を拝むように強制していいた。
教師が順番に前に出て、教育勅語に最敬礼をするのである。内村も前に進んでいった。
聖書のことばを思っていた。「ほふり場につれていかれる、ひつじのように、またもくもくとして、毛を刈る者の前に立つ羊のように、彼は口を開かなかった。」イエス・キリストは子羊のように、全ての者の罪を負って十字架につかれた。罪深いこのわたしのためにも、死んでくださったのだ。わたしもキリストのために死ななければならない、イエスさまのために死にたいと思った。
聖書のことばを思っていた。「ほふり場につれていかれる、ひつじのように、またもくもくとして、毛を刈る者の前に立つ羊のように、彼は口を開かなかった。」イエス・キリストは子羊のように、全ての者の罪を負って十字架につかれた。罪深いこのわたしのためにも、死んでくださったのだ。わたしもキリストのために死ななければならない、イエスさまのために死にたいと思った。
ご真影が目の前にあった。これを拝むわけにはいかない。日本を愛している。天皇を愛している。しかし、天皇を神として拝むことはできない。
内村は、軽く黙礼をした。
教頭先生がこういったそうだ。「こまる。。。、あんなことをしてはこまる。きみがキリスト教徒であることは理解しているし、敬意をもっているつもりだ。。。。しかし、そのような個人的な信仰で、公の儀式を軽んじるとは、けしからん。。。。学校には学校の立場もあるし。。。。、わたしには教頭としての責任もある。。。校長と相談して、きみの処遇をきめる。かえりなさい。。。。」
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