「私たちの存在の小ささは、無限な方を隠すのである。」 ブレーズ・パスカル
こう言い換える事が出来るでしょう。「私達自身があまりにも小さいので、無限のあの方(造り主)を見る事が出来ない。」
「The littleness of our being conceals from us the sight of the Infinite.」 Blaise Pascal
聖書・使徒の働き17:22−34
マルスの丘の広場に立ったパウロは、大ぜいの人を前にして、演説を始めました。「アテネの皆さん。あなたがたは宗教にたいへん関心をお持ちのようですね。 町を歩けば、必ず多くの祭壇が目にとまります。 ところで、その中に、『知られない神に』と刻まれたものがありましたね。 あなたがたは、この神様がどういうお方かも知らずに拝んでいるわけですが、私は今、この方のことをお話ししたいと思います。
この方は、世界と、その中のすべてのものをお造りになった天地の主です。 ですから、人の造った神殿には、お住みになりません。 また人は、この方の必要を満たすこともできません。 第一、この方には、必要なものなど何もありません。 かえって、すべての人にいのちを与え、必要なものは何でも、十分に与えてくださるのです。 神様は全人類を、一人の人間アダムから造り、すべての国民を全世界に散らされました。 あらかじめ、どの国が興り、どの国が滅びるか、いつそうなるか、何もかも決め、国々の境界をもお定めになったのです。
これもみな、人々が神様を求め、手さぐりしてでも神様を捜し出すためでした。 事実、神様は私たちから遠く離れておられるのではありません。 私たちは神様の中に生き、動き、存在しているのです。 あなたがたの詩人の一人が、『私たちは、神の子孫だ』と言ったとおりです。 もしこのとおりなら、神様を、金や銀、あるいは石のかけらなどで人間が作った、偶像みたいなものと考えるべきではありません。 今までは、神様はこうした無知を、見過ごしておられました。 しかし今は、すべての人に、偶像を捨てて神様に立ち返るようにと命じておられるのです。 神様の任命なさった方が正しいさばきを行なう日が、決まっているからです。 神様は、その方を復活させ、そのことの動かぬ証拠とされたのです。」
死人の復活にまで話がおよぶと、人々は笑って相手にしなくなり、中には、「くわしいことはあとでお聞きしましょう」と言う人たちもありました。 こうして、議論は終わりましたが、 数名の者がパウロの側につき、クリスチャンになりました。 市議会議員のデオヌシオや、ダマリスという婦人なども、その中に含まれていました。
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