イギリスの有名な作家ジョン・バニヤンは、ある日、道を歩いていました。貧しい女性数人が話しているのを聞いて、近よりました。神の恵み、またキリストによる救いの力を体験した話をしていました。彼は、驚いたのです。なぜなら、自分が体験した事はなかったのです。しかし、そこで、彼は『救いは、人から来たり、人がするものではなく、神から来る』と悟りはじめました。罪の赦しを得る為には、神によって取り扱ってもらわないとだめだと分かりました。でも、女性達は、恵みの日ざしを浴びていましたが、彼は、頑張りながらも、魂の寒さに震えていました。
自分から目を離すまで、キリスト、その十字架と平安を見いだすまで、彼は、さらに疑いと失望にさらされました。彼の高慢さが強くて、自分の罪によって迷っている状態を認める事は、出来ませんでした。
ある日、宗教改革者のマルテン・ルターの「ガラテヤ人の注解書」を読み、彼の魂は、照らされました。彼は、またサタンの誘惑にあい、また格闘しました。が、やっと次の聖書箇所によって解放されました。『キリストの血潮は、全ての罪から私たちを清める。』彼は、こう書きました。「私は見えたのです。自分の心の状態が良いから義(正しさ)が増えるのではない。また、自分の心の状態は、悪いから義が悪くなるのではない。なぜなら私の義は、『昨日も、今日も、また永遠も同じである』イエス・キリスト御自身である(と悟ったのです)。」