Sunday, November 3, 2013

ピクニック



白馬に行く途中、

ピクニックしました。

奈帆がおにぎりを作った。

秋!

家族とジョイー・ストール。

Friday, November 1, 2013

開智小学校



松本城の近く

友達とお客さんのジョイーと見に行った。

日本の一番古い小学校の一つー 1876の頃.

天使に注目。

Wednesday, October 30, 2013

宗教改革の日


クリスチャンにとって、10月31日は、本当は、ハローウィンではなく、宗教改革記念日です。1517年のこの日にルターは、ウィッテンベルグ城教会の扉に「95か条」を張り出して、宗教改革がスタートしました。

宗教改革の大事なポイントの一つは、人の行いによってではなく、キリストの十字架の行いによって、恵みによって、信仰によって、人は、救われ、神の子となり、永遠の命を頂くことです。これは、福音(神からの良き訪れ)と言います。この真理が世界を揺り動かしたのです。今も、真の愛を知る人は、変えられ、周りの人も、社会も、変わります。 

「起こらなければならないことは、福音そのものの新たな理解です。。。福音とその素晴らしさが全体的にまた明確に伝えられた時に、神がその贖いの力を用いて教会と世を新たにするのです。神は、他でなく、福音そのものに、救いに至る力を与えるのです。」R.C.スプロール


「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる(十字架の)贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」ローマ3:24

Thursday, October 24, 2013

「あなたの神」



「何であっても、あなたの心がすがり、頼るものが、本当はそれがあなたの神である。」マルテン・ルター "Whatever your heart clings to and confides in, that is really your God."

「私は、多くのものを手に持ちましたが、それを全て失った。しかしながら、何であっても神の手に置いたものは、それら全ては今ももっている。」マルテン・ルター "I have held many things in my hands, and I have lost them all; but whatever I have placed in God's hands, that I still possess." 

「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」イエス・キリスト、聖書・マタイ6:24

Wednesday, October 23, 2013

詩編23編


東京都三鷹市で刺殺された私立高3年・鈴木沙彩(さあや)さん(18)の葬儀・告別式が12日、三鷹市内のキリスト教教会で詩編の23編が歌われた。沙彩さん安らかに、賛美歌歌い350人涙の告別式…三鷹女子高生刺殺

詩編23
賛歌。ダビデの詩。
 主は羊飼い、
わたしには何も欠けることがない。
 
主はわたしを青草の原に休ませ
 憩いの水のほとりに伴い
 魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく 
 わたしを正しい道に導かれる。
 
死の陰の谷を行くときも 
 わたしは災いを恐れない。
 
あなたがわたしと共にいてくださる。
 あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしても
 あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
 わたしの頭に香油を注ぎ
 わたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り
 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
 主の家にわたしは帰り
 生涯、そこにとどまるであろう。

「ただ挨拶しに来たんだ。」



ある牧師は、昼間に、教会を通り抜けて、誰が祭壇のほうで祈っていたか、確かめに行きました。その時、突然、戸が開いて、誰かが通路を歩いて来ました。男は、ひげを剃っていなかったので、牧師は、顔をしかめました。男のシャツは、切れていて、ぼろぼろで、彼のコートは、すり切れていて、ほぐれていました。彼は、ひざまずいて、頭をかかげました。それから、立ち上がって、歩きさりました。その数日も、丁度、昼時、牧師は、この男を見ました。毎回、数分、弁当箱をひざにおいて、ひざまずきました。

それで、牧師は、男のことを怪しく思いはじめました。牧師は、とまって男に聞くことを決めました。「ここで何をしているの?」年老いた男は、自分は、工場の労働者で、お昼ごはんは、30分間で、力を得る為に祈りに来たと。「工場は、遠いから、数分しかいないし。ひざまずいて主に祈る時、こんなふうに祈るんだ:『わしの罪を取り除いて、友達に成ってくれた時以来、わしは、どんなに幸せか、あんたに伝えに来た。わしは、祈りかたは、良く知らんが、毎日、あんたのことを思い出しているんだ。だから、イエス様、わしの名は、ベンで、ただ挨拶しに来たんだ。』」牧師は、恥ずかしく成って、ベンに「良いよ、いつでも祈りに来ても良いよ。」と
言いました。

「行かなくちゃー。ありがとう」とベンは早く去って行きました。それで、牧師は、前やったことが無かったが、祭壇でひざまずきました。そこでイエスと出会い、彼の冷えた心が溶け、愛によって暖かく成りました。涙が頬に流れながらも、老いたベンの祈りを再び祈りました。「私の罪を取り除いて下さって、友達に成った時以来、私は、どんなに幸せか、あなたに伝えに来ました。私は、祈りかたは、良く知らないが、毎日、あなたのことを思い出しています。ですから、イエス様、私です。ただ挨拶しに来ました。」

ある日、お昼が過ぎて、牧師は、ベンが来なかったことに気が付きました。数日がさらに過ぎても、ベンは、来なかったので、牧師は、少し心配しはじめました。工場で、ベンについて聞いて、病気だと分かりました。病院は、ベンのことを心配していましたが、逆に彼は、皆を喜ばしていました。一週間共にいたベンは、病棟に変化をもって来ました。彼の笑顔と喜びは、人から人へと広がって行きました。人が変わることが彼の報酬でした。

看護婦長がどうしてベンがそんなに喜んでいるか理解出来ませんでした。なぜなら、花も、電話も、手紙も、お訪問も全然なかったのです。牧師は、病棟に残りました。看護婦の心配をベンに伝えました。彼を愛する人は一人も来なかった。身寄りもいない。驚きながら年老いたベンは、笑顔で話しました。「看護婦は、間違っているよ。彼女が分かるわけは無い。彼は、いつも来ているよ。毎日の昼に、彼わしの特別な親友が来るんだ。あの、彼は、座って、わしの手を取って、近よって、こう言うんだ。『私がベンの罪を取り除いて、友達に成れて、私は、どんなに幸せか、あなたに伝えに来ました。毎日、あなたのことを思い出して、あなたの祈りを聞くのが大好きです。ベン、私は、イエス・キリストです。ただ挨拶しに来ました。』

Tuesday, October 22, 2013

10月20日、礼拝


豊かな命教会

小岩井牧師

キリストは神の御姿である方なのに、
神のあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を無にして、
仕える者の姿をとり、
人間と同じようになられました。
人としての性質をもって現れ、
自分を卑しくし、
死にまで従い、
実に十字架の死にまでも従われました。
ピリピ2:6−8