Wednesday, March 27, 2013

「親しいものに感じた」



「私は、それらの本(漢文の『聖書入門』など)を綿密に注意して読んだ。私は一方では懐疑を持ったが、一方ではうやうやし畏敬の念に打たれた。私は以前読んだオランダ語の書物によって、造物主の名を知ったが、簡単な<漢訳聖書史>の中に出てくる、神が天地を創造したという単純な物語を読んだときほど親しいものに感じたことはなかった。私たちの住んでいる世界は神の見えざる手によって創造せられたもので、偶然にできたのではないことを私は悟った。私はその同じ歴史の中に、神の別名が天の父であることを発見した。それは、私の心の中に今まで以上に神に対する畏敬の念を起こした。なぜなら、神は単なる造物主でなく、それ以上のものだと思われたからである。すべて、これらの本は、私の一生涯の最初の二十年間の間、私から全く隠されていたものを、幾分おぼろげではあるが、心眼に見せてくれた。」新島襄

『初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。』創世記1:1−3

Friday, March 22, 2013

パートナーシップ



私と私達の教会は、パートナーシップ(協力)をより深めたいです。


先月、山梨でJECA(豊かないのち教会が属している)の牧師会に参加。


今月、豊かないのち教会を含める松本地域の教会のメッセンジャー集い。


「あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。」聖書・ピリピ1:5

Monday, March 18, 2013

「父さん、わたしは神さまのみこころにおまかせします」


マルテン・ルターが59才のとき(1542年)、娘のマグダレーネが、13才の若き生命を神に召された。

長女のエリザベートは生まれた翌年2才で死んだ(1528年)。エリザベートが亡くなって14年目に生まれた女の子であったので、子供の好きなルター夫妻はことさらにマグダレーネをかわいがっていた。

マグダレーネの最後が近づいたとき、ルターは、ひざまずき娘のベッドに両手をついて涙をながして祈った。「神よ!この子をあなたが召されるのがあなたのみこころでしたならば、そうしてください。でも、もしもいまいちど生命をあたえてくださるならば、そのようにしてください。」

そして娘の手をしっかりにぎりしめて、「マグダレーネ!お父さんといっしょにいただろう。でもマグダレーネ、天国の父さまのところへ行くのも、うれしいだろうね」といって彼女に語りかけると、「父さん、わたしは神さまのみこころにおまかせします」とはっきりというのだった。

そしてまもなくマグダレーネは、天の父のもとに召されて行った。

肉親との別れの悲しみは、ことばでは説明でいない。聖書学者であり、説教家であり、音楽家であり、文学者であるルターにしても、ことばをもって、その心の痛みをあらわすことはできなかった。

「主の聖徒の死はそのみ前において尊い。」聖書・詩編116:15

Friday, March 15, 2013

「復讐される神がこわいのです。」



マルテン・ルターはある日、シュタウピッツ博士を訪れた。自分の悩みを聞いてもらうためである。「先生、人間には神さまの前で懺悔(ざんげ)できる罪だけではなく、もっともっと人間の奥深いところに罪があるようにわたしは考えるのです。どんなにこれとあれと罪だと並べても、そこに並べることのできない罪があるのではないですか?。。。」 

ルターは、人間の原罪にふれていたのである。原罪とは人間が生まれながらにしてももっている罪のことをいう。よく人は、わたしは生まれてから今にいたるまで罪などおかしたことはないといいます。はたしてそうでしょうか。殺人はしていなくても、泥棒はしていなくても、人間であるがためにの罪というものがあるのではないですか?

ルターは、つづけて話した。「神はわたしにご命令されます。これをせよ、あれをさひないさいと。しかし、わたしにはどうしてもできないことがあります。わたしは神に何度もそむいています。わたしは恐ろしいのです。審判者であり、罪を犯したのにたいして、復讐される神がこわいのです。」

シュタウピッツ博士は顔をあげてルターを見つめた。「ルター。あなたは大きなまちがいをしている!神があなたを怒っているのではなく、あなたが神たいして怒っているのではないか?」

『神はそのひとり子(イエス・キリスト)を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、(十字架上で)なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。』聖書・1ヨハネ4:9−10

Tuesday, March 12, 2013

乗鞍


先週の土曜日スキーしに行きました。

奈帆とホサーナ

 ジャシュア

シェーン

乗鞍は、家から1時間。弟ダンがそこでノーススター。

Thursday, March 7, 2013

「偽りの神々」



「偽りの神々」テム・ケラー、¥1470

日本は「八百万(やおよろず)の神々」の国です。でも、この本では、その「偶像礼拝」のことよりも、私達皆の心にある賞賛、金銭、成功、権力などの神々を暴露しています。私達は、神意外のものを究極的な対象としてしまうのです。ケラー牧師は、真の神を中心とした生き方を説きます。ゴスペルショップ

Amazon.co.jp: 偽りの神々~かなわない夢と唯一の希望~: ティモシー・ケラー 信州に住んでいる方は、ぜひ豊かな命聖書書店で買った下さい。

「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」聖書・出エジプト記20:3

Wednesday, March 6, 2013

そりジャンプ


シェンがジャンカ家の芸術家です。数週間前、少し雪が降ったから、渡した著の教会の駐車場で、シェーンがそりジャンプ(スキージャンプのような)を作りました。。。神が与えた一人一人の子供を感謝しています。

Sunday, March 3, 2013

「わたしのような罪深い人間が。。。」



5月2日の日曜日、マルティン・ルター ははじめての教会のミサを司式した。彼の父親はマンスフェルトから20数名の人を連れて列席した。父は熔鉱炉を二つももち、工場主であり、町の有力者となっていた。

鐘の音が響きわった。ルターは身も心もひきしまっていくのを感じた。ルターは聖壇の前でミサの式のことばを朗読した。父の姿が見えた。厳粛な雰囲気のうちに式は進められていったが、ルターの心の中に何かひっかかるものがあった。恐ろしい気持ちがわきあがって来た。

『わたしのような罪深い人間が、永遠の真理である神に、今このようにして対等の立場でお話ししていいのだろうか。あまりにも恐れおおいことだ。不謹慎なことではないか?』

後にルターは、このローマ書の聖書の神の言葉によって解放された。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができません。しかし、ただ、神の一方的な恵みにより、キリスト・イエスによる十字架の贖いと救いのゆえに、価なしに義(正しい)と認められるのです。」ローマ3:23−24