マルテン・ルターが59才のとき(1542年)、娘のマグダレーネが、13才の若き生命を神に召された。
長女のエリザベートは生まれた翌年2才で死んだ(1528年)。エリザベートが亡くなって14年目に生まれた女の子であったので、子供の好きなルター夫妻はことさらにマグダレーネをかわいがっていた。
マグダレーネの最後が近づいたとき、ルターは、ひざまずき娘のベッドに両手をついて涙をながして祈った。「神よ!この子をあなたが召されるのがあなたのみこころでしたならば、そうしてください。でも、もしもいまいちど生命をあたえてくださるならば、そのようにしてください。」
そして娘の手をしっかりにぎりしめて、「マグダレーネ!お父さんといっしょにいただろう。でもマグダレーネ、天国の父さまのところへ行くのも、うれしいだろうね」といって彼女に語りかけると、「父さん、わたしは神さまのみこころにおまかせします」とはっきりというのだった。
そしてまもなくマグダレーネは、天の父のもとに召されて行った。
肉親との別れの悲しみは、ことばでは説明でいない。聖書学者であり、説教家であり、音楽家であり、文学者であるルターにしても、ことばをもって、その心の痛みをあらわすことはできなかった。
「主の聖徒の死はそのみ前において尊い。」聖書・詩編116:15
肉親との別れの悲しみは、ことばでは説明でいない。聖書学者であり、説教家であり、音楽家であり、文学者であるルターにしても、ことばをもって、その心の痛みをあらわすことはできなかった。
「主の聖徒の死はそのみ前において尊い。」聖書・詩編116:15
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