昨日、豊かな命キリスト教会で詩編95編から「礼拝とは何?」について語りました。
どうしてクリスチャンは、賛美歌や聖歌を礼拝の大事な部分にするのでしょうか?私は、上のメッセージにこの例えを使いました。
奈帆の結婚指輪の為に私の母は、母のお母さん、私のおばあちゃんの結婚指輪を下さいました。例えば、奈帆と私が『鑑定してもらいましょう』と言います。宝石屋さんは、初めは、ただ眼鏡を入れて、ただ見ます。でも、不思議に少し時間がかかるのです。彼は、眼鏡を落とし、裏にある本を調べはじめます。そして、息が荒く成りはじめます。初めは、冷静に調べていました。でも、今は、感動しているのです。そして、こう言います。「これは、何々のダイヤで、この金は、何何です。」奈帆と私も感動しているのです。喜ぶ、叫ぶのです。
神を、その恵みを、さらに知り、体験すると、心が動き、讚美せざる終えないのです。
ですから、こう歌うのです。詩篇95:1−2「さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。」
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