Friday, August 8, 2014

脇腹から


「(女は)男に勝るために頭から、あるいは男に踏みにじられるために足から造られたのでもなく、男と平等であるべく脇腹から、守られるために男の腕の下から、そして愛されるために男の心臓の近くから造られたのである。」マシュー・ヘンリー(左絵)

「神である主は深い眠りをその人に下されたので、彼は眠った。そして、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。神である主は、人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。」聖書・創世記2:21−22

Tuesday, August 5, 2014

月面での聖餐式


45年ほど前、1969年6月20日、『月』に行ったニール・アームストロングと一緒にいたバズ・アルドリン宇宙飛行士は、こう確信しました。神と科学は、矛盾しないと。着陸した時、アルドリンがヒューストンのミッシオンコントロールにこう語りました。「ヒューストン、これはイーグル。。。LM(Lunar Module, 飛行船)のパイロットです。数分の黙祷をお願いします。。。」そして、無線をきりました。少したったら、イエスの言葉を引用しながら『月』で*聖餐式をお祝いしました。後で彼は、聖餐式についてこう語りました。「私は、パンとぶどう酒が入っていた包みを開け、私の教会が下さった杯にワインを入れました。引力の少ない月で、そのワインは、したやかに曲がりながら杯のはじを登りました。そして、この聖書の言葉を読みました。「私は、ブドウの木で、あなたがたは、枝です。誰でも私にとどまるなら多くの実を結びます。」そして彼は、詩編8:3−4を読みました。「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」

『月』に行った宇宙飛行士は、月や宇宙を見ながら、人間の小ささを告白しました。でも、また、創造主は、私たちを顧みて下さる、と確信したのです。何と言う愛でしょう。創造主は、人となり、十字架上で私たちの死ぬべき永遠の死を代わりとなって死んで下さり、救って下さいました。また、復活して下さいました。さらに、ここに、この教会に共にいて下さいます。素晴しい恵みです。人間の月面着陸が本当のように、十字架の愛も本当で、今も、ここで、本当に体験出来ます。。。主イエスとその贖いを実感しましょう。

「また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取って食べなさい。これはわたしのからだです。』また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。聖書・マタイ 26:26-28

参考:First Communion on the Moon

*聖餐式餐は、主イエス・キリストとその十字架を覚え、お祝いする教会の行事です。キリストとその十字架、その意義は、キリスト者の人生の全てでああります。教会で心にとどめて、生活の全ての中で生かされたいのです。またそこにある愛を示したいのです。

Friday, August 1, 2014

家族。。。


子供と一緒に県の森公園。

数週間前、家族と一緒に野辺山へ。

今週、ジャシュアとシェーンは、アルプスで登山。

Friday, July 25, 2014

「感謝、感謝!」


内村鑑三は愛する娘—ルツ子—が重大になったとき、いっさいを笹尾鉄三郎にゆだねた。彼はルツ子をみちびき、彼女は、主イエスを信じ、信仰をもって世を去っていった。ルツ子は、鉄三郎によって復活の信仰をもったのだ。彼女は、「感謝、感謝!」といい、「もういきます」といって天に召されたのだった。


「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。」聖書ピリピ1:21

Tuesday, July 22, 2014


「自分達がそんなに悪くない人だと思えば、恵みという概念は私たちを変えません。」ティモシー ケラー

"As long as we think we are not that bad, the idea of grace will never change us." Timothy Keller

「。。。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。。。恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」ローマ5:21

考:私たちが自分の罪が分かれば分かるほど、助けと恵みが無ければ成らない事が分かる。助け主は、唯一主イエスである。主は、私たちが罪のゆえに死ぬべき死を代わりに死んだ。また、3日目に復活した。今も、主を信じ求めるものに恵みを与える。それも、満ち溢れて。賛美!

Tuesday, July 15, 2014

福沢諭吉と神



福澤諭吉(1834〜1901)は、8才と6才になる長男一太郎、次男捨次郎のために、「日々の教え」を作ったが、その中でゴッド(God=神)のことを教えている。

「ひびのをしへ 一編 だい八」世の中に父母のながくいきてじょうぶなるは、子供のねがうところなれど、けふはいきて、あすはしぬのもわからず。父母のいきしには、ごっど の心にあり。ごっど は父母をこしらえ、ごっど は父母をいかし、また父母をしなせることもあるべし。天地万物なにもかも ごっど のつくらっざるものなし。子供のときより ごっど のありがたきを知り、 ごっど のこころにしたがうべきものなり。

『ひびのをしえ 二編 だい一』てんとうさまをおそれ、これをうやまい、そのこころにしたがうべし。ただし、ここにいうてんとうさまは、にちりんのことにはあらず。西洋のことばにて ごっど といひ、にほんのことばにほんやくすれば、ざうぶつしゃ(造物者)というものなり。

さらに第二、第三以下第六まで、父母を敬え、殺すべからず、盗むべからず、いつわるべからず、むさぼるべからず、と「モーセの十戒」(主エジプト記20)のように列記して、さらに別に改めて、「だい一」として、「てんとうさまのおきて」の永遠にかわることなきをいうとある。

「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」聖書・伝道者の書12:1

Tuesday, July 8, 2014

今もなお祈った。


「*ヨブが栄えていた時、祈った。彼が苦しんでいた時も、今もなお祈った。」ティモシー ケラー

"When Job was prospering, he prayed. When he was suffering, he still prayed." Tim Keller

『そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」』聖書・ヨブ記1:21


*西洋では「ヨブ」は、非常に苦しんだ人の象徴である。彼は、栄えた時も祈ったが、苦しんだ時も続けて縋って祈った。私たちは、神を御利益的に見ている時が多すぎる。自分が思う通りに成ると喜ぶが、思う通りに成らないと神を呪う。私たちは、神をただ使っているのである。天地を造られた神にとても失礼です。。。私は、こう思う。神は、頼るに値する真の助け主です。なぜなら、この神は、十字架上で、私たちが、自分の罪のゆえに、死ぬべき永遠の死を、代わりに死んで下さった。また、3日目に復活した。今も、私たちをかえりみて下さる。良い時にも、悪い時にも、常にすがり、祈りましょう。