Wednesday, September 12, 2012

新私の寅さん



たかはしたけおのサイドワーク

(61)あの時は、俺も若かったら

小学生の甥、満男の家庭訪問に来た先生が美人だったのを見た寅次郎は、茶の間に上がり込み、結果的に家庭訪問を台無しにしてしまいます。
その一ヶ月後、今度は信州の温泉で無銭飲食をやらかし警察のご厄介に。それも妹のさくらに来てもらって後始末をしてもらいます。その寅次郎が団子屋に帰ってきました。

おじちゃん「(カンカンに怒って)寅・・・お前なあ!」
博「(間に入って)ちょ、ちょっと待って・・・(寅に)兄さん、あやまるべきじゃないんですか。みんなどんなに心配したかわからないんですよ。」
寅「そうなんだよ。俺もね、今度は悪かったなあと思って、あやまろうと思って帰って来たんだよ。ほら、今度は金のことでみんなに迷惑かけちゃったから。俺、働いて帰すから・・・」
博「いいんですよ、それは。ただね、今度のようなことだけは・・・」
寅「そうなんだよ、わかってる。」
おじちゃん「今度だけじゃないよ。この間のことだってあるじゃないか!」
寅「えっ、この間のことって何だっけ?」
おばちゃん「満男の先生のことだよ!」
寅「ああ、女先生な・・・悪かった。なにしろあの時は、俺も若かったから・・・」
おじちゃん「何が若かっただ、ばか!あれは先月のことだ!」
第18作「寅次郎純情詩集」より

こういう寅次郎を責めることは実に簡単です。たしかにそれだけのことをこの男はやっています。しかしこの映画を愛する人々は、この寅次郎を責めずに、むしろ共感したゆえに「男はつらいよ」はギネスブックにも記されるような長編シリーズ映画として成長していきました。
人のあやまちを責めるのは簡単です。でもそれをやるとたいがい、相手を自分の下に見て、自分をそういう人より上に置くようになりがちです。「はっはっは、馬鹿な男もいたものだ」と、そういう「寅さん」の見方をしてしまうと、この映画は二度、三度と見続ける価値のない映画になってしまいます。

そうではなく、あやまちに満ち、矛盾に満ちた寅さんになぜか共感し、「あるある、そういうとこ、俺にもあるよ」と思った人たちがいたからこそ、そして毎年このあやまちと矛盾に満ちた人物のその後を見たいと思う人が絶えなかったからこそ、26年全48作のシリーズ映画の巨編として日本映画の歴史に名を刻むことになりました。
寅さんの人間的な魅力の一つは、過去の失敗や重荷に縛られていないことではないでしょうか。甥の家庭訪問に来た美人先生に一目ぼれして家庭訪問を台無しにして、逃げるように旅に出てしまった寅次郎でしたが、ひと月も旅の風に吹かれていると、もうすっかり忘れています。
そのことを改めて指摘されても悪びれる様子もなく「悪かった。なにしろあの時は、俺も若かったから」と、ほんの一カ月前の自分を振り返っています。そんなことでは人間として成長がないのでは、との正論も確かにそのとおり。しかし、人間の魅力というのは正論では語り尽くせないもののようです。
2012.9

高橋竹夫氏は、私の父母がはじめた松本聖書福音教会の牧師。松本聖書福音教会・牧師ノート

「人の子(イエス・キリスト)は、失われた人を捜して救うために来たのです。」聖書・ルカ 19:10

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