ブレーズ・パスカルが書いた本「パンセ」は『考えごと』という意味で、その内容は、キリスト教の真実さを証明するものでした。私は、皆さんに、神、聖書、イエス・キリストや人生について共に考えてほしいです。"都合悪い"ことも考えたいです。
Friday, November 30, 2012
ホームレスの人にブーツ
インタネットで、特にFacebookで、親切なニューヨークの警察官の話題が広がりました。おまわりさんがホームレスの人にブーツなど買って差し上げる場面がたまたま通りかかった人に携帯で写真が撮られました。リンク:心優しき警官 Facebookで『いいね』が多く押され、彼について"An officer and a gentlemen" (紳士的な警官)と書き込まれました。The Associated Press: NYPD officer's kindness sparks online sensation
『もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行いを持っています。行いのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行いによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」聖書・ヤコブ2:15−18
Thursday, November 29, 2012
コンドレザ・ライス
コンドレザ・ライス(Ph.D.)は、アメリカの政治家または政治学者です。現在は、スタンフォード大学で政治学を教えています。その上、メンローパーク長老教会に行っている熱心なクリスチャンです。
彼女の父が彼女に大きな影響を与えました。彼は、神学者であって、よく二人で討論したようです。彼は、キリスト教を「ただ受け入れなさい」と言わなかったのです。疑うトマスの話しから『疑っても良いよ』と教えました。
次が聖書からの『疑うトマス』の出来事です。
十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように」と言われた。それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
聖書・ヨハネ20:24−29
コンドレザのお父さんはこう教えました。トマスがイエスの傷を触る必要がある、とイエスは知っていました。私の復活を疑って、後で信じる時、より強い信仰を持つ、とイエスは知っていました。
彼女は、お父さんに感謝していました。信仰に対する彼女の疑問を無視しないで、神が与えた脳と考える力を十分に使う事を教えていました。
父母が天に召された時、彼女が「すべての考えにまさる神の平安」を初めて知りました。彼女はこう言いました。「理解できない事がある。しかし、確かな平安がある。その時、初めて、自分の理屈が押しのけられて、キリストに触れる事が出来た。」
英語のンドレザ・ライスの人生体験 The Christian Testimony of Condoleezza Rice
Tuesday, November 27, 2012
Monday, November 26, 2012
天使
クリスマスのシンボルの一つは天使です。クリスマスの飾りとして良く見かけます。「天使は、神のみ使いです。救い主イエス様が来られるという、良い知らせを告げるために使わされました。彼らは、マリヤ、ヨセフ、羊飼い達にこの知らせを伝えました。天使の知らせは、彼らに喜びをもたらしました。これは良い知らせであり、今日神私達を愛しておられ、神の一人子イエス様を救い主となるべく使わされた、ということを知る喜びをもたらしているのです。」「クリスマスの本当の意味」より
「きょうダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリスト(メシヤ)です。」聖書・ルカ 2:11
Friday, November 23, 2012
マーク・ハットフィルド
マーク・ハットフィルド(1922年〜2011年)は、アメリカのオレゴン州知事(’59〜’67)と連邦上院議員(’67〜’97)でした。彼は、熱心なクリスチャンで、議員の中では、冗談半分で「聖マルコ」と呼ばれました。なぜなら、彼は、酒をいっさい飲まない徹底的な平和主義で、紳士でした。
彼は、第二次世界大戦の硫黄島と沖縄の戦いの後、広島の原爆の跡を目の当たりにしました。1986年、彼はこう言いました。「戦争にあったら、あなたの世界観が変わる。廃墟、その酷い廃墟は、絶対に忘れられない。」この考えがずっと彼の政治観を影響しました。
「私は、戦争中、日本人は、人間ではないように考えていた。私達と違って、人間ではなく、個人個人ではなく、皆まとまって大きな敵と考えた。そして、彼らの国に来て大事な真理が分かった。彼らは、私達とそっくり同じで、彼らも苦しみ、恐れたりする人間。まさに人間。大人がリラックスして笑顔を見せながら、私の昼食が子どもに渡されながら、私の憎しみが消えて行った。私は聖(きよ)められ、この『啓示』は私から去った事は無い。憎しみは、噴き出して行って、力強い薬となった愛に変貌して行った。」
ですから、ハットフィルドは、ベトナム戦争や湾岸戦争にも反対しました。飢えている人がいるのに、武器を多くする国は、逆に国の安全を弱くする、と彼は言いました。彼は、政界を引退した1997年にこう言いました。「私達は、世界で最も兵器を売歩いている国。そして、私達は兵器を欲しがることによって(その悪で)世界を感染させている。」彼は、最後まで徹底的な平和主義者でした。
「しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。。。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。」聖書・エペソ2:13−17
参考:Mark Hatfield dies: Former Oregon senator was 89 - The Washington Post
Thursday, November 22, 2012
映画「リンカーン」
今年公開の映画ですが、スチーブン・スピルバーグがリンカーン (リンカーン:秘密の書ではなく)という映画を作りました。アメリカの大統領の中ではアブラハム・リンカーンは最も信仰心が深かった大統領でした。
特に大領領になって頃からは、聖書を多く読み、多く祈りました。彼は、聖書を良く知っていて、例えば1858年の”A House Divided"(分離された家)のスピーチのとき、多く引用しました。The Struggle for Lincoln's Soul | Christianity Today
1864年、リンカーンは、聖書をくれた黒人にこう言いました。「救い主(イエス・キリスト)がこの世に与えた全ての良いものはこの聖書を通して伝えられている。これが無くては私達は善悪を知らない。」
リンカーンの二人の息子の死(1850年と1862年)の後、二人の長老教会の牧師によって慰められました。この牧師二人ともが彼の信仰がこの悲劇によって深まったと言いました。リンカーン:信仰と勇気の人
日本にも、スピルバーグの『リンカーン』が上映されるように願っています。『リンカーン』 また、今こそ、リンカーンのような勇敢なリーダーが日本にも選ばれる必要があるのです。
「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実と慈愛を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」聖書・ミカ 6:8
Wednesday, November 21, 2012
Tuesday, November 20, 2012
石破茂
衆院解散になって、選挙になりますが、私は、クリスチャンですから、石破茂が目にとまりました。彼はこう言っています。「46年間、キリスト教に触れつつ信仰をもちながら生きてきた。」彼は四題目のクリスチャンだそうです。「『自分たちでやっていることは正しいのか』という思いがいつもあります。それは神様にに対する恐れ、そういう気持ちでもあると思います。『本当にこれで良いのだろうか、御心に適うものたのだろうか』と常に思っており、『御用のためにお用いください』という祈る気持ちだけは常に持っています。」クリスチャントゥデイニュースサイト
「私達(クリスチャン)は、神のみを拝むが、他のことにおいては、私達は、あなたがたが王また支配者であると認めながら、あなたがたに喜んで仕える。また、あなたがたが王たる権力を正しい判断で持つように祈る。」ユステイノス “To God alone we render worship, but in other things we gladly serve you, acknowledging you as kings and rulers of men, and praying that with your kingly powers you be found to possess also sound judgment” Justin
「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、(十字架上で)ご自身をお与えになりました。。。」聖書・1テモテ2:1−6
政治家ではなく、神がキリストが唯一の救い主です。ですから、神に期待するように、政治家であっても、弱い人間に期待しては行けない、と聖書にあるのです。人は、本当の意味で『救う』事は出来ないのです。しかし、リーダーのために祈り、国の政治に関わり、社会を変えて行く事は大事です。
今週の日曜日、私は、私達の教会の礼拝で上の聖書個所を読み、リーダーのために祈るように皆に勧めました。また、私は、個人として、週に一回、アメリカのオバマ大統領のためだけではなく、日本の野田総理、阿部長野県知事、菅谷松本市長のために、キリストの豊かな恵みに預かり、知恵が豊かに与えられるように、必ず祈っています。日本の祝福を、言葉だけではなく、心から祈っています。
Saturday, November 17, 2012
Friday, November 16, 2012
神さまの愛を例えているなら。。。
「神さまの愛を例えているなら、ちょうど赤ん坊のオムツをとりかえる母親みたいなものだと思うんです。。。赤ん坊は、オムツがよごれると、自分ではどうすることもできないから、泣いて知らせます。そうすると、母親は夜中でも、すぐ起きてそれをとりかえ、抱いてねむらせます。この母親の姿こそ、ただひたすら我が子を愛し、そのためにすべてをささげる犠牲的な姿であります。」
Thursday, November 15, 2012
Wednesday, November 14, 2012
『世界はキリストのため』
「われは日本のため、日本は世界のため、世界はキリストのため、すべては神のため。」内村鑑三
“I for Japan ; Japan for the World ; The world for Christ ; and All for God."
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」聖書・1コリント 10:31
Tuesday, November 13, 2012
Friday, November 9, 2012
「われわれは同等のキリスト者であり」
「即ちすべてのキリスト者は真に霊的な階級に属している。。。。キリスト者の間には何らの差別はないからである。。。。すべては、われらが一つの洗礼、一つの福音、一つの信仰を有し、同等のキリスト者であることに帰する。そは、洗礼・福音および信仰のみが、われらを霊的にし、キリスト者の群をつくるからである。。。。われらはすべて同等に祭司であるから、己れを他人の上に置いてはならない。。。。法皇であろうが、司教であろうが、司祭であろうが、。。。。彼らが脅迫しょうが、破門しょうが、意に介してはならない。。。。われわれは同等のキリスト者であり、同等の洗礼と御霊とすべてのものを持っているのではないか。」マルテン・ルター
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。」聖書・1ペテロ2:9−10
*これが現代の民主主義の原点んでもあります。人は、皆罪人であり、皆キリストを信じる信仰によって救われ、「同等のキリスト者である」事を強調しています。その結果「われらはすべて同等に祭司である」とも言えるのです。それは、司祭のような仲介人を通してではなく、直接「キリストの御名によって」天地を造られた神を「父」と呼ぶ事が出来て、祈る事が出来るのです。
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。」聖書・1ペテロ2:9−10
*これが現代の民主主義の原点んでもあります。人は、皆罪人であり、皆キリストを信じる信仰によって救われ、「同等のキリスト者である」事を強調しています。その結果「われらはすべて同等に祭司である」とも言えるのです。それは、司祭のような仲介人を通してではなく、直接「キリストの御名によって」天地を造られた神を「父」と呼ぶ事が出来て、祈る事が出来るのです。
Tuesday, November 6, 2012
そして、光があった。
「ビッグバンの何千万年の後の間、宇宙は全く暗闇であった。そして、光があった。」マーク・カフマン、雑誌ナショナル ジオグラフィック、Light From First
Stars Detected in Cosmic "Fog"
"For millions of years after the big bang, the
universe was utterly dark. And then there was light." Marc Kaufman
科学の説明が聖書に近づいたと言う本がありますが、上の言葉を覚えながら聖書を読みましょう。「初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠(without formとも訳された事がある、かたちがなく)として何もなかった。やみ(darkness)が大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。「光(light)があれ。」すると光があった。」聖書・創世記1:1−3
Friday, November 2, 2012
主は喜びをもってあなたのことを楽しみ。。。
家内の奈帆がこの聖句を私に勧めました。「喜び」、「楽しみ」、「愛」、「歌って」という言葉に注目します。キリストの恵みに預かった者が、このようにして神に喜ばれています。それは、私達の行いによってではなく、キリストの十字架によってです。ただ、イエスを信じ仰ぐことによってです。
Subscribe to:
Posts (Atom)