「人は私(横山幹雄)をゴキブリ牧師と呼びます。」
ある日、私は、親分格の大きなゴキブリを見つけてやさしく語りかけました。
「あのなあ、ごきぶりくん。この家には、こわーい母ちゃんがいるから来るじゃないよ。人の目にふれるところに姿を見せな方がいいよ。」
しかし、私の心からの説教も、ごきぶりの心に悔い改めを与えることはできません。私は悩みました。
「どうしてごきぶりたちに、わたしのことばが通じないのだろう。—そうだ、わかった。ごきぶりはごきぶりで、わたしは人間だから、ごきぶりに私の言うことがわからないんだ。私がごきぶりになればいいんだ。ごきぶりになって、ごきぶりの世界へ行こう。」。。。
まず妻に打ち明けました。
「おまえは今までに私によくつくしてくれた。おまえのことを心から愛しているよ。しかし、私は今日ごきぶりになって、ごきぶりの世界に行くよ。ごきぶりたちがみすみす殺されるのを、これ以上がまんできないのだ。私はごきぶりに警告を与えに行くつもりだよ。」
もと看護婦の妻は、あわれむような目で言いました。
「あなた大丈夫?」。。。
ぺこっとおじぎをすると、私の体は小さく小さくなっていきます。
「ママ、ごきぶりよ!」
「ちがうの。それはパパごきぶりよ。」
人間たちの騒ぎを背に、パパごきぶりは、ごきぶりの世界につながっている流し台のうしろにひって行ったのです。。。
しかし、こんなことはありえない、ばかげたはなしです。。。
しかし、歴史の中にこえりょりもっとふしがなことが実際に起こったのです。この天と地を造られた真の神が、貧しい人間となってこの世界においでになったのです。王の王であられる方が、貧しく低くなられた、人としてこの世界にこられたのです。
立派な宮殿、貴族の家、大金持ちの家にではなく、貧しい大工のせがれとして、くさい馬小屋の中で誕生されたのです。それがイエス・キリストです。。。
イエス・キリストは神の子であり、子なる神でありながら、なぜ人間になられたのでしょうか。。。
イエス・きりすとは十字架の上で私たちの身代わりとなって死んで下さったのです。キリストの死は、私たちの罪をゆるす力があります。。。
イエス・キリストを信じる者は、罪ゆるされ、神の子とされ、永遠のいのちが与えられるのです。
『ことば(キリスト)は人となって、私たちの間に住まわれた。』聖書・ヨハネ1:14
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