ある日のこと、アッシジのフランチェスコが馬での野道をすすんでいくと、とつぜん馬がたちどまって動かなくなった。見ると、道ばたにらい病人がうずくまったいるのだった。
いやなにおいが鼻をついて。いままでフランシスコは、らい病人など大きらいだった。馬まで顔をすむけ、すすむのをこばんでいる。フランシスコは、向きをかえて、らい病人から遠ざかろうとした。
そのとき、イエス・キリストがらい病人を愛して、なん人ものらい病人をきよめて、いやされたことを思いだした。
フランシスコは馬からおりて、らい病人に近よっていた、そして財布をとりだして、らい病人ににぎらせた。財布をうける手は指がくされおち、みにくくくずれていた。
フランシスコはその手に口づけした。
じぶんがいやでいやで、早くらい病人のそばからはなれたいのに、自分の思いと反対に、いつのまにか口づけしているのだった。
うみのにおいで胸がむかついた。かれはがたがたふるえながら馬にもどった。無我夢中だった。体はさむ気がして、とり肌だっているのに、心の中に思いがけない平安がやどっていた。
うみのにおいで胸がむかついた。かれはがたがたふるえながら馬にもどった。無我夢中だった。体はさむ気がして、とり肌だっているのに、心の中に思いがけない平安がやどっていた。
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