1880年(明治13年)4月13日、新島襄は、同志社の全校生徒、教職員、校内にいるすべての者を集めた。朝礼拝のばであった。。。。
新島の口がひらいた。
「このたび、この神さまが建てあげよとされるこの同志社で起こった事件は、本当に残念なことです。。。私は、校長としてどうするべきか神に祈り考えました。そして、ひとつのことがわかったのです。それは、罪は罰せられなければならない、ということです。。。」
「だれかが罰せられるのだろう」と口々に言っているのが、新島の耳にもきこえてきた。
「この学校の責任者は、私、新島襄です。だから、この学校でおこるすべてのできごとの責任が私にあるのは当然です。。。罪はかならず罰されなければなりません。責任者は処罰されなければ、問題の解決はないのです。」
新島は、とつぜん、上着をぬいだ。そしてそれをつくえの上においた。ワイシャツの左のそでをまくりあげた。
「ピシ!ピシ!ピシ!ピシ!」とムチををうちつづけた。
左手は、皮が破れて血が吹き出した。真っ白な新島のワイシャツは血で赤肉が飛び散った。
この事件で、ある学生は、十字架の意味をはじめて知った。身代わりを意味する。イエス・キリストの十字架は、神の子イエス・キリストが人の罪のために死んだという証である。
「神は、罪を知らない方(イエス・キリスト)を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」聖書・2コリント5:21
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