「空(くう)の空。伝道者は言う。空の空。すべては空」と読むと、仏教の言葉ではないかと思われます。しかし、まぎれもない聖書の言葉です。伝道者の書1章2節にあります。「空」と言う言葉は、この伝道者の書に26回以上も書いてあります。「空」は伝道者の書のポイントでもあります。
伝道者の書は、西暦前1000年頃、ソロモン王によって書かれました。正に釈迦の500年前のことです。私の推測ですが、仏教の「空」と言う考えは、このソロモンの言葉に影響されたのではないかと思います。
「伝道者は言う」とありますが、多分この「伝道者」と言う言葉は、哲学の教授と訳しても良いと思います。ヘブライ語で「コへレス」。一方的に語るよりも、「論じ合いましょう」と願っているのです。都合悪い質問を互いに『これで良いのか?』と聞き、よく考えましょう、と言っているのです。あなたは、信じていること、行っていることについて「Why? なぜ?」と聞く勇気をもっていますか?
「伝道者は言う」とありますが、多分この「伝道者」と言う言葉は、哲学の教授と訳しても良いと思います。ヘブライ語で「コへレス」。一方的に語るよりも、「論じ合いましょう」と願っているのです。都合悪い質問を互いに『これで良いのか?』と聞き、よく考えましょう、と言っているのです。あなたは、信じていること、行っていることについて「Why? なぜ?」と聞く勇気をもっていますか?
「空」の意味は、文字どうり『空しさ』です。ソロモンは、「空」は「風を追うようなものだ」と5回も語っています。ある聖書では「価値のないもの」と訳されています。創り主のない人生は、無意味であり、『ホームのない野球と同じ』なのです。小畑進牧師はこう語りました。「ただ一気に虚しい、ムダ、甲斐なしというソッケない意味なのです。」
また、こう例えています。「小林一茶。腹違いの弟との熾烈な財産争い。そのあげく、ようやく得た家屋敷は一朝火事で灰と化し、わずかに焼け残った土蔵の中で蚤虱(シラミ)を友として息をひきとる。辞世は、
わが上にやがて咲くらん苔の花
でした。自分が埋められる墓にはやがて苔が生えて、その花も咲くであろう。それだけのこと。ただそれだけのこと、と。」小畑進
本当の意味で「すべては空」なのか?伝道者の書12章1節にこうあります。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」すなわち、神無き人生は、本当に究極的に空しいです。しかし、存在する神がいて、イエス・キリストの恵みのゆえに、人生に意味を与えるので、全てのものに素晴らしい価値があるのです。
「神から離れて平安を見つけようとした人が、そこに空しさしかなく、神なしの生活がいかに不毛かを語っています。人がこの世ではなく、神様に心を向ける時にだけ、真の幸福を見いだせます。」
『主よ、あなたは私達をご自身のために創られました。私達は、あなたに安らぐまで、決して安らぐことはないのです。』聖アウグステヌス
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