Tuesday, July 31, 2012

神の恵みで圧倒されている



アメリカのスポーツ界にクリスチャンが多い。今回のオリンピックもそう。過去は、体操のラットン、飛び込みのウィルキンソン、バスケットのロビンソン、ウェイトリフテイングのアンダーソン、陸上のジョイナー。今回は、バスケのジュラント、バレーのプリデー、テコンドーのミクフィアソン、マラソンのホール、100メーターハードルのジョンズ、トライアサロンのケンパー。その中の一人は、アメリカ女子バスケットバールの若いマヤ・モア


ツウィッターの頁に「神の恵みで圧倒されている」と書いたマヤがプロがドラフトされた時、こう言われた。「君たちは、恵まれたよ。彼女は、最高!」他にもこう言われた。「彼女は本物。バスケットボールに関して彼女は真剣だが、信仰生活にもそのような真剣な訓練を適用する。そして、彼女は、謙虚。」更に彼女についてこう言った。「「神は、彼女にこの賜物を与えた。彼女はバスケットを『所有』(英:'has')しているが、バスケは彼女を『所有』していない。」


彼女自身は、こう言っている。「私は、生涯を通して素晴らしい人に祝福されている。素晴らしいコーチ、素晴らしいチーム、素晴らしい機会。一つ一つを最大に活かし、神に従いたい。全て主からの祝福。」カメラを目線にしてマヤは自分に問いかけた。「私自身が全てを神の栄光のためにしているか?」彼女の願いです。この聖書の言葉でいつもサインしています。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、(一生懸命に)心からしなさい。」聖書・コロサイ 3:23 「私は、自由(free)という言葉を多く使うが、神は私に本当の意味で活きて欲しいし、私はコート上でキリストにあって自由に競技したいのだ。自由に素晴らしくプレーしたり、自由に間違ったり、自由にその間違えから学だり。もちろん、勝ちたいし、上手にプレーしたいが、結果がどうあれ、パフォーマンスを振り返る時、主を大事に(honored)したことを確認したい。」ある時、バスケのファンを「永遠に神に栄光」と言うシャウト(歓声)に導き、それを聞いた人が「天使の歌声」のようだった、と言った。マヤは、本気で、聖書の神中心、キリスト中心を心から願っているのである。


参考:How Maya Moore Brings Style and Grace to the U.S. Olympic Women's Team | Christianity Today


マヤのウェブサイト:Moore Maya

Monday, July 30, 2012

父の学校



7月14日と16日に安曇野ファミリーチャペルで『父の学校』が行われました。

 30名ほど集まりました。私の小グループの名前は、寅さんの『男は辛いよ』の逆をとって「男は楽しいよチーム」。「主(神さま)と家庭を楽しむ、教会と会社を楽しむ」ことを意味しています。ちなみに、私の隣の高橋牧師の趣味は、寅さん研究で、他の小グループの一人は、渥美清の親戚で、渥美清は、クリスチャンになったそうです。

韓国からキム長老が家庭について語って下さいました。私たちは、男性であってから夫であり、夫であって父親です。順番が大事です。私は、勇敢に家族と教会をリードすることを再確認しました。

「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。。。父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」エペソ 5:25、6:4

Thursday, July 26, 2012

「この偉大な本は今もそびえ立っている。。。」


「この偉大な本(聖書)は今もそびえ立っている。そしてこの古い地球の(木の)葉がめくられ,じっくり観察さられると、それらは、聖なる書(聖書)をより支え、描写するであろう。」ジェームズ・デーナ


“The grand old Book of God still stands; and this old earth, the more its leaves are turned over and pondered, the more it will sustain and illustrate the sacred Word.” 

この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。。。私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。なぜなら、神は、お立てになったひとりの人(イエス・キリスト)により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」聖書・使徒行伝17:24、25、30、31

Wednesday, July 25, 2012

「私は、自分のたましいを和らげ、静めました。」


数週間前、私たちが軽井沢にいた時、私が一人で5分くらい散歩して、聖公会(英国教会)で、聖書を読み、祈りました。神様と静かな時が必要でした。ご存知の通り、ACショー宣教師が軽井沢を『発見』し、はじめに宣教師の夏の休養のでありました。今はビル・ゲーツなどの別荘地にもなっています。私が20歳のころ、ビトルズのジョン・レノンにあいましたが、アメリカの宣教師とともに聖書を学んでいる、と知り合いの宣教師から聞きました。また、有名なテニスコートの横の教会(Union Church)でYoko Onoと小さなSeanとともにジョンが礼拝しに行っているのが見た、私の友だちTomが言いました。そこで宣教師達が彼らが静かに礼拝出来るように見守ったのです。


都上りの歌。ダビデによる
主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。
及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。
まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。

乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように私の前におります。
イスラエルよ。今よりとこしえまで主を待て。
聖書・詩篇 131

Tuesday, July 24, 2012

「公義を行い」



世俗主義者は、信者に、公のところに入る前に彼らの宗教を家においておきなさい、と要求するのは間違っている。フレデリック・ダグラスアブラハム・リンカーンウィリアム・ジェニングス・ブライアンドロシー・デイマーティン・ルーサー・キングー確かに、アメリカの歴史のほとんどの改革者ーは信仰によって動機づけられただけではなく、常に宗教的な言葉を使って自分の大義を論証した。ですから、男性と女性が『個人の道徳』を公の場の討議に織り込んではならないというのは現実的にばかげた話しである。私たち(アメリカ人)の法律は、文字通り、道徳の法律化であり(法典に編み込んでいる)、ほとんどはユダヤ教・キリスト教にもとずいている。」バラク・オバマ大統領

元の英文 "Secularists are wrong when they ask believers to leave their religion at the door before entering into the public square. Frederick Douglas, Abraham Lincoln, Williams Jennings Bryan, Dorothy Day, martin Luther KIng - indeed, the majority of great reformers in American history - were not only motivated by faith, but repeatedly used religious language to argue for their cause. So to say that men and women should not inject their "personal morality" into public policy debates is a practical absurdity. Our law is by definition a codification of morality, much of it grounded in the Judeo-Christian tradition." Barak Obama

「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実(慈愛)を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。聞け。主が町に向かって叫ばれる。」聖書・ミカ6:8−9

キリスト者は、公、政、隣で行われていることを無視出来ない。逆に、深く関わることが隣人愛である。キリストの十字架の愛に預かった者は、家庭をはじめ全ての分野でその愛を実践するはず。

Sunday, July 22, 2012

宣教師墓地、軽井沢


私たちが泊まった軽井沢のキャビンの隣に宣教師のお墓がありました。

 私たちが7年香川にいましたが、Cox先生が私たちを香川に呼んで下さいました。彼のビジョンによって多くのキリスト者の群れが瀬戸内海のあたりにスタートしました。

また、その近くに、マカルパイン先生のお墓がありました。わたしの弟Danが生まれた時に、Jon兄と私がマカルパイン先生達の家に1週間ほど泊まりました。私は、5才でした。

その他にもSeely, Lautz, Tygert, Shade とMcVety先生達のお墓がありました。”私がこのように神に人に尽くした宣教師になれたらなー、”と思います。

彼らはこう思うでしょう。「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。」聖書・ピリピ 1:21 

Friday, July 20, 2012

ジェームズ・ヤング・シンプソン


「しかし、私は、また仰いだ、私の身代わり、代わりとなってむち打たれ、そして私の代わりに十字架上で死ぬ。私は、仰いで叫んだら、(私の罪が)赦された。そして、私の義務はあの救い主についてあなたに語ること。あなたも、仰いで生きるように。『彼は私たちの罪のために傷付けらた。。。そして彼の受けた傷によって癒された。』イザヤ53:5、6。」ジェームズ・ヤング・シンプソンウィキペデイアによると「最も有名業績はクロロホルムによる麻酔の医学への応用を初めて行った。」

But I looked again, my substitute, scourged in my stead and dying on the cross for me. I looked and cried and was forgiven. And it seems to be my duty to tell you of that Saviour, to see if you will not also look and live. ‘He was wounded for our transgressions,… and with His stripes we are healed.’(Isaiah 53:5,6).”

Thursday, July 19, 2012

軽井沢


7月11日〜12日軽井沢でジャン家、小岩井家とリフレッシュ!

このキャビンで2泊。

Wednesday, July 18, 2012

「空の空」16


「だれが知恵ある者にふさわしいだろう。だれが事物の意義を知りえよう。人の知恵は、その人の顔を輝かし、その顔の固さを和らげる。私は言う。王の命令を守れ。神の誓約があるから。王の前からあわてて退出するな。悪事に荷担するな。王は自分の望むままを何でもするから。王のことばには権威がある。だれが彼に、「あなたは何をするのですか」と言えようか。命令を守る者はわざわいを知らない。知恵ある者の心は時とさばきを知っている。すべての営みには時とさばきがある。人に降りかかるわざわいが多いからだ。何が起こるかを知っている者はいない。いつ起こるかをだれも告げることはできない。
風を支配し、風を止めることのできる人はいない。死の日も支配することはできない。この戦いから放免される者はいない。悪は悪の所有者を救いえない。私はこのすべてを見て、日の下で行われるいっさいのわざ、人が人を支配して、わざわいを与える時について、私の心を用いた。
そこで、私は見た。悪者どもが葬られて、行くのを。しかし、正しい行いの者が、聖なる方の所を去り、そうして、町で忘れられるのを。これもまた、むなしい。悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行う思いで満ちている。罪人が、百度悪事を犯しても、長生きしている。しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、しあわせであることを知っている。悪者にはしあわせがない。その生涯を影のように長くすることはできない。彼らは神を敬わないからだ。
しかし、むなしいことが地上で行われている。悪者の行いに対する報いを正しい人がその身に受け、正しい人の行いに対する報いを悪者がその身に受けることがある。これもまた、むなしい、と私は言いたい。私は快楽を賛美する。日の下では、食べて、飲んで、楽しむよりほかに、人にとって良いことはない。これは、日の下で、神が人に与える一生の間に、その労苦に添えてくださるものだ。私は一心に知恵を知り、昼も夜も眠らずに、地上で行われる人の仕事を見ようとしたとき、すべては神のみわざであることがわかった。人は日の下で行われるみわざを見きわめることはできない。人は労苦して捜し求めても、見いだすことはない。知恵ある者が知っていると思っても、見きわめることはできない。」聖書・伝道者の書8:1−17


“神か御上か”どっちの側につくか?「島原の乱」を覚えると、複雑な気持ちがあります。ご存知のように大名が農民を酷く苦しめていました。そこに、幕府によって弾圧されていたキリシタンが農民と一緒に戦いました。はじめは、島原城に行き、攻めきれなく、原城に立てこもり、幕府の攻撃に耐えきれなく、老人、女性と子供が戦った者とともに皆殺しにされました。私たちは、家族として行きました。そこに多くの人が死にましたが、その遺跡に行くと『死んだ方を敬っていないなー』と感じます。現在の歴史学者と役人は、その島原の乱にたいしてどう反応したら良いのか分からないようなきがします。私も、複雑な気持ちです。やはりシンプルな答えはないのです。しかし、聖書は、政治と宗教の対立をどう教えているのでしょうか?(写:去年の秋、私たち家族が島原城と原城を見ました。上は、島原城にある天草四郎の象。)

キリスト者は、国に従うように教えられています。はっきり書いてあります。「王の命令を守れ。」聖書全体にそれが教えられています。なぜなら、王は知らない可能性があるが、王は神に誓ったからであるのです。全ての王は、良い王であれ、悪い王であれ、天地を造られた神の目に見えない支配下にあるのです。神様が許さないと王になれないのです。

また、国には、絶対的権威があると分かるからキリスト者は、王に従おうのです。こうあります。「王の前からあわてて退出するな。悪事に荷担するな。王は自分の望むままを何でもするから。王のことばには権威がある。だれが彼に、『あなたは何をするのですか』と言えようか。」現在の民主主義には、チック機能がありますが、それでも、首相、知事や警察には、一般の人よりは力があるのです。

そして、キリスト者自身の幸福に繋がるから従うのです。多くの場合「命令を守る者はわざわいを知らない。。。」例外もありますが、これは、基本です。

私たちは『もちろんアメリカの独立戦争が正しい』と言うでしょう。私も、その気持ちがわかります。しかし、愛国心の多くあった私の高校の歴史の先生は「アメリカの独立戦争は謝っていた」と言いました。なぜなら、この箇所を含めて聖書にそれが何回も書いてあるからです。聖書・1ペテロ2:13−14「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。」例外もあると思いますが、これは基本です。

しかし、国の権威にはリミットがあるのです。ここでは、自然界の例えを使っています。「風を支配し、風を止めることのできる人はいない。死の日も支配することはできない。」どんなに地震を予測しようとしても、国は、去年の9.0の地震をコントロールできませんでした。津波は、国が作った堤防をラクに超えました。コントロール出来るはずの原子力発電所は、東電だけではなく、『国』(強調)の政策と人材の弱さと限度で、多くの日本人を自分の国の中の難民にしました。長年の国の高慢と怠慢で福島県の多くの人を「災い」追いつめました。聖書の助言です。「人が人を支配して、わざわいを与える時について、私の心を用いた。」想定外の災いのために常に国は心がける、と言う事です。国は、謙虚に自分の限度を感じ、どのようにして民を助け守れる事が出来るかが主な国家の仕事です。

ドイツの牧師ディートリッヒ・ボンヘッファーは、インドのガンジーを尊敬していた平和主義者でした。第二次世界大戦でしたが、彼は、軍国主義のドイツの流れに逆らいました。それを大胆に宣言しました。残念ながらドイツ国教会も、ヒットラーに魅了され、ついて行きましたが、しかし、ボンへファーは抵抗しました。そして、更に徹底して抵抗しました。平和主義者であった牧師ボンへファーは、ヒットラー暗殺に協力し、捕まって、収容所で処刑されました。彼は人が人を支配して、わざわいを与える時について、私の心を用いた」一人の人です。彼は、早めに、鋭く、ヒットラーとナチスが民だけではなく、ユダヤ人と世界に「災いを与えていた」事を理解し、命を捧げて抵抗しました。法は、人のためにある者で、人のためにでなくなる法、人に害を与える法には従わなかったのです。国家にリミットがある、と聖書にあるのです。

キリスト者も、国も、真の神を「恐れ、敬う」のです。こうあります。「しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、しあわせであることを知っている。」なぜでしうか?文脈を見ると分かります。「悪者」なのに、ちゃんと「葬られて行く」のです。逆に「正しい行いの者が、(誤って)聖なる方の(教会のような)所を去り、(大事な)町で忘れ」てしまうのです。そして「悪い行いに対する宣告がすぐ下されないので、人の子らの心は悪を行う思いで満ちて」しまうのです。罪人が、百度悪事を犯しても、長生きしている」のです。世間は、狂っているのです。変です。ですから、人や状況よりも、全て国々と歴史をコントロールしている、治めている真の神を信じ敬い恐れるのです。ここに真の安心があるのです。

でも、恐れるだけではなく、神が与えた人生を喜ぶのです。「私は快楽を賛美する。日の下では、食べて、飲んで、楽しむよりほかに、人にとって良いことはない。これは、日の下で、神が人に与える一生の間に、その労苦に添えてくださるものだ。」「快楽」とありますが、英語では、”pleasure、“喜び、楽しみの事です。人生は、とても複雑だし、苦悩は確かにあまりにも多くあります。空しい事や不公平なことが起こります。知恵を追求しても限度があります。が、それでも「食べて、飲んで、楽しむ」ような博愛や恩恵を「神が人に与えた」とあります。これも、貴い恵みです。

確かに、聖書に「人よりも神に従いなさい」(使徒行伝5:29)とあります。国が「聖書と逆の事をしなさい」と言うと、国に従えない勇気が必要です。そういう時もあるのです。しかし、マルコ12:17などでイエス・キリストこう言いました。「カエザルにカエザルのもの上げなさい。神のものは神に上げなさい。」鋭いです。この世は、複雑な時があると思いますが、弁える(わきまえる)事が出来ると私は思うのです。

不思議な事は、イエス・キリストは、宗教と国家の謝った権威によって十字架上で死刑にされました。しかし、人間の間違えは、神の計画でもありました。十字架上でイエス・キリストは、私たちの罪ゆえに受けるべき永遠の罰を代わりとなって受けて下さいました。宗教と国家の間違えによって、十字架につけられたが、それは、私たちの救いでした。確かに、この「知恵は、その人の顔を輝かし、その顔の固さを和らげる。」

“神か御上か”どっちの側につくか?。。。十字架の救いの力があって、真の神の助けによって、“御上”に従い、その“御上”を助ける事が出来るのです。それは、助言する事によってだけではなく、必要でしたら、抵抗する事によって、“御上”が助けるべき民を助けるのです。

Thursday, July 12, 2012

神はわがやぐら


神はわがやぐら
わが強き盾
苦しめるときの
近き助けぞ
おのが力
おのが知恵を
たのみとせる
よみのおさぞ
げにおぞましき
賛美歌、マルテン・ルター

訳:私たちの神はかたいとりで、よい守りの武器です。神は私たちを苦しみ、悲惨から、助け出してくださいます。古い悪い敵(悪魔など)はいま必死にあがいており、その大きな勢力と策略を用いて、攻撃してくるので、地上の存在でこれに勝てる者はおりません。(神のみが出来るのです。)

Monday, July 9, 2012

”天地創造の話しは単純に啓示された真理”



解剖学者、外科医、神経科医、哲学神学者チャルス・ベルの伝記作家はベル医師・伯爵についてこう書いた。「確実に彼(グラハム・ベル)にとって天地創造の話しは単純に啓示された真理(事実)である。」


“There can be no doubt that for him the story of Creation was simply revealed truth.” Anatomist and surgeon Charles Bell’s biographer


「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」聖書・詩篇 19:1 

Saturday, July 7, 2012

終わった!


ペンキ塗りが終わった。私も少してつだった。 Thanks for your help, Naho & Levi!


「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子(イエス・キリスト)が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」聖書・マルコ10:43−45

Friday, July 6, 2012

小野ヤスシ



コメデイアン加藤茶の大の親友であった小野ヤスシが6月28日、天国に召されました(中日スポーツ)。約1000人が参列した通夜で、写真の横に十字架があったが、彼は、クリスチャンで、40年前にキリスト教の洗礼を受け、『バルトロマイ小野ヤスシ』のクリスチャンネームを授かっていたのです。歌手のミッキー・カーチス(73)は遺影を前に、ハーモニカで、イエス・キリストの不思議な恵みを讃える「アメイジング・グレイス」の一節を演奏して別れをしました(SANPO.COM)。


主の聖徒たちの死は主の目に尊い。」聖書・詩篇 116:15

Thursday, July 5, 2012

何を記念する?


1945年8月6日と9日に広島と長崎に原爆が落とされました。私は、はじめアメリカ人として戦争を止めるためには必要だと思いました。しかし、3年間、広島に住んで、考えが変わりました。

忘れてはならない事は、日本の戦争の罪です。今、日本の戦争責任を否定する考えがはやっていますが、それは大間違えです。真実を正直に見て、本当の解決があるのです。日本がヒットラーと組んで戦争を行っていたこと忘れてはいけません。600万人以上のユダヤ人がヒットラーによって虐殺されたのです。また、日本は、アジア中(特に韓国、中国とフィリピン)で酷い罪を犯しました。

でも、日本が全て『黒』で、アメリカは全て『白』とは言えないのです。私の家内(奈帆)は、高松の人ですが、高松は、1945年7月4日にアメリカ軍により空襲を受け、1500人以上が亡くなりました。私が住んでいた広島で原爆によって14万人が亡くなりました。私たちの家族が去年訪ねましたが、長崎の原爆によって15万人以上の方が亡くなりました。アメリカ軍による無差別攻撃です。

ですから、私は、数年前、オバマ大統領に謝罪するように、手紙を送りました。日本の国に対しておわびするのではなく、広島市民に長崎市民におわびするように書きました。こう書きました。”On behalf of all Americans please apologize to the victims of the tragic Hiroshima and Nagasaki bombings.”訳:「アメリカ人全てを代表し、ぜひ広島と長崎の悲惨な原爆を体験した被害者におわびしてください。」

そして私は、手紙の最後にこう書きました。I believe as a Christian that one key step toward mercy, justice and peace is admitting ones own sin. And it shows humility and character.”訳:「私はクリスチャンとして慈愛、正義と平和の大事な一歩は自分の罪を認めることだと思います。そして、それをすることによって謙遜と品性を表しています。」

不思議な事は、アメリカには、真珠湾記念館があります。日本には、広島原爆記念館と長崎記念館があります。他の国の罪をいわゆる「記念」しています。でも、ドイツの場合、アウシュヴィッツ記念館があります。ドイツは、他国の罪ではなく、自分の罪を「告白」しているのです。個人であっても、国民であっても、国家であっても、自分の罪ではなく、他の人の罪を指摘することが先でしょうか?でも、聖書にこう書いてあります。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」ヤコブ4:6


写:原爆が落とされた近くにあった長崎の浦上教会の後。去年の秋、私たちは、長崎を訪ねました。

Wednesday, July 4, 2012

「私は同性愛の結婚を支持する」オバマ


ロイターによると、今年の5月ごろ、オバマ大統領は「私は同性愛の結婚を支持する」と言いました。その一つの理由は、聖書から来ていると言いました。「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」マタイ7:12 でも、黒人の牧師から猛反対されています(参考)。なぜでしょうか?聖書は何と言っているでしょうか?

先ず、創世記1章を見ましょう。26−27節『神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。。。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。』 ここで書いてある事は、全ての人は、造り主に似せて造られた、ということです。ですから「ゲイバッシング」(同性愛者に注目し手厳しく避難すること)は、非聖書です。神の博愛は、全ての人間に注がれ、同じように尊厳があり、個人個人の人権があるのです。

次に、創世記2章を見ましょう。18節を見ると『神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」』で、動物を連れて来たましたが、20節「しかし人には、ふさわしい助け手が見つからなかった。」ですから、22節「神である主は、。。。女を人のところに連れて来られた。」神は、アダムのところにもう一人のアダムを連れて来たのではなく、エバという女性を連れて来たのです。ですから、神のパターン(Gods pattern, 神のやりかた・基準)は、男女の結婚のみです。男女の結婚以外の性的行為は、もちろん正しくないし、健康的でもないのです。それは、ポルノを見たりする心の性的行為も含めてです(マタイ5:27−28)。私たち現代人は、何でも自由だと言っています。でも、神は、基準を作っています。男女の夫婦だけの間の結婚と性的行為です。それとも、私たちは、天地を造られた聖書を下さった神より知恵があると思っているのでしょうか?

最後に、創世記3章を見ましょう。ここは、有名な「原罪」を記録してある聖書の箇所です。ここで、サタンの誘惑で、アダムとエバが神を信じ従わないで、罪に堕ちたところです。とう言う事は、同性愛は、唯一の罪ではないのです。聖書はこうかいてあります。「全ての人は罪を犯したのです。」ローマ3:23 先ほど、情欲という心の罪にふれました。また、宗教的罪—偽善—があるのです。聖書・箴言6:16−19にこのような罪があります。「主の憎むものが六つある。いや、主ご自身の忌みきらうものが七つある。高ぶる目、偽りの舌、罪のない者の血を流す手、邪悪な計画を細工する心、悪へ走るに速い足、まやかしを吹聴する偽りの証人、兄弟の間に争いをひき起こす者。」正直であれば、私たち一人一人は、罪を抱いています。

でも、グッドニュースがあります。キリストは、罪人を救うために来たのです。「あなたがた(キリスト者)の中のある人たちは以前はそのような者でした。(不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者)しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。」自分の罪を告白し、イエス・キリストが自分の身代わりとなって十字架上で罪の罰を受けた事実を信じ受けると、弱い人間の愛ではなく、天地を造られた神の真実な愛を体験し、変えられ癒されます。