ロイターによると、今年の5月ごろ、オバマ大統領は「私は同性愛の結婚を支持する」と言いました。その一つの理由は、聖書から来ていると言いました。「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」マタイ7:12 でも、黒人の牧師から猛反対されています(参考)。なぜでしょうか?聖書は何と言っているでしょうか?
先ず、創世記1章を見ましょう。26−27節『神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。。。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。』 ここで書いてある事は、全ての人は、造り主に似せて造られた、ということです。ですから「ゲイバッシング」(同性愛者に注目し手厳しく避難すること)は、非聖書です。神の博愛は、全ての人間に注がれ、同じように尊厳があり、個人個人の人権があるのです。
次に、創世記2章を見ましょう。18節を見ると『神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」』で、動物を連れて来たましたが、20節「しかし人には、ふさわしい助け手が見つからなかった。」ですから、22節「神である主は、。。。女を人のところに連れて来られた。」神は、アダムのところにもう一人のアダムを連れて来たのではなく、エバという女性を連れて来たのです。ですから、神のパターン(God’s pattern, 神のやりかた・基準)は、男女の結婚のみです。男女の結婚以外の性的行為は、もちろん正しくないし、健康的でもないのです。それは、ポルノを見たりする心の性的行為も含めてです(マタイ5:27−28)。私たち現代人は、何でも自由だと言っています。でも、神は、基準を作っています。男女の夫婦だけの間の結婚と性的行為です。それとも、私たちは、天地を造られた聖書を下さった神より知恵があると思っているのでしょうか?
最後に、創世記3章を見ましょう。ここは、有名な「原罪」を記録してある聖書の箇所です。ここで、サタンの誘惑で、アダムとエバが神を信じ従わないで、罪に堕ちたところです。とう言う事は、同性愛は、唯一の罪ではないのです。聖書はこうかいてあります。「全ての人は罪を犯したのです。」ローマ3:23 先ほど、情欲という心の罪にふれました。また、宗教的罪—偽善—があるのです。聖書・箴言6:16−19にこのような罪があります。「主の憎むものが六つある。いや、主ご自身の忌みきらうものが七つある。高ぶる目、偽りの舌、罪のない者の血を流す手、邪悪な計画を細工する心、悪へ走るに速い足、まやかしを吹聴する偽りの証人、兄弟の間に争いをひき起こす者。」正直であれば、私たち一人一人は、罪を抱いています。
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