Thursday, January 31, 2013

ネーセン・ノーマン


昨日、家族とビートたけしの『アンバリバボー』を見ました。そこで、脳と脊髄の腫瘍のガンを患う(わずらう)ネーセン・ノーマンの話しを見ました。感動的でした!四ヶ月もいのちが無い事を告げられ、クリスマスの四ヶ月前に家族と多くの近所の方が毎日のようにお祝いしはじめました。また、彼は、警察官からクリスマスカードが欲しいと言う事で、Eメールが全米に渡り、100台のパオロルカーと250人の警察官が彼にあいに行きました。(Boynton Beach police, firefighters grant Nathan Norman's wish - YouTube) オバマ大統領の就任式にも行けました。この感動的ストーリーが全米に渡り、この日本の松本にいるジャンカー家も励まされました。このボーヤは、アメリカ中からプレゼントをもらいましたが、彼は、他の必要なる子に上げました。で、彼の笑顔が絶えないのです。

話しが終わらないのです。家族がこう言っています。「この苦しみを通して主(イエス・キリスト)を崇める事を学びました。。。ネーセンが癒されるように祈っていますが、この地上であっても、後の天国であっても、必ず癒されると知っています。。。神様は、ネーセンを(ガンと戦う)勇敢な戦士にして下さいました。。。(ガンと戦っていても)主は、それでも良い(恵み深い)方であって、毎日が奇跡であるのです。。。ネーセンがこんなに質のある人生が送れる事じたいが奇跡であります。」CaringBridge / Nathan Charles Norman / Welcome

この聖書の箇所がそのウェブサイトにありました。「私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。神よ。あなたの道は聖です。神のように大いなる神が、ほかにありましょうか。あなたは奇しいわざを行われる神、国々の民の中に御力を現される方です。」詩篇77:11−14

ある新聞の記事でこう書いてあります。「忠実なボーヤの物語です。彼は、ある日、イエス様にあいます。でも、このボーヤは、イエス様の顔を(今)見てなくても、イエス様が生きている事を(今も)知っています。」Wright Words: Inspirational young cancer patient celebrates Christmas early | Deseret News

Tuesday, January 29, 2013

「この希望は失望に終わることがありません。」



「自分の悲惨さを知らずに神を知る事は、高慢を生み出す。神を知らずに、自分の悲惨さを知る事は、絶望を生み出す。」ブレーズ・パスカル

私達にとって二つとても大事な知恵があるのです。それは先ず「己を知れ」ということです。「自分の悲惨さを知らずに神を知ることは、高慢を生み出す」とパスカルはいいました。いろんな哲学、宗教や道徳は、人間を素晴らしくえがいています。果たしてそうでしょうか?確かに、動物と違って「神(造り主)に似せて造られました。」(創世記1:26、27)しかし、人間をさらに見ると、醜い(みにくい)ことが多いです。罪と苦しみによる「悲惨さ」が多いです。創世記3章が真実にその罪のはじまりを記録しています。聖書・ローマ3:23でこう書いてあります。「全ての人は罪を犯したのです。」

次に、聖書では(人間の悲惨さを書く前に)神の存在を明確にしました。聖書のはじめの文書です。「はじめに神が天と地を創造した。」(創世記1:1)「造り主を知れ」が何よりも大事なことです。そして、神を知る事によって希望があるのです。

私は、8年ほど前に、家族とアメリカに帰りました。でも、仕事が見つからず、人間関係が崩れて行きました。自分のいのちをとりたいくらいでした。その時に、私の希望は単純に、聖書のはじめの言葉でした。「はじめに神。。。」分かった事は、世間では言わない事です。『全ては、人間中心ではなく、神中心である。』人生は、人間にかかっていれば、希望が無いのです。しかし、天地を造られて神がいれば、希望が豊かにあるのです。

特に、そのアメリカにいた頃、”Hope In Christ”(キリストに希望)という看板のある教会で礼拝しはじめました。。。神は、天地を造られただけではなく、人となりました。イエス・キリストです。私達の辛い道を経験し、私達が自分の罪のゆえに死ぬべき死を代わりとなって死んで下さり、三日目に復活しました。そして、今も、私のような者のためにも、続けて祈り、励まし、顧みて(かえりみて)下さるのです。

パスカルの言葉を変えるとこうなります。「自分の悲惨さと神両方を知ると、希望を生み出す。」聖書にこうあります。この希望は失望に終わることがありません。」ローマ5:5 私とあなたも、自分の罪を見て謙り、キリストに死ぬほど愛されていることを信じることによって、揺るがない希望を持つのです。

Wednesday, January 23, 2013


先週、松本に多くの雪が降りました。雪かきにも負われました。はじめは子供が嬉しかったですが。。。写真:豊かないのち教会

『「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。」』聖書・イザヤ1:18

Sunday, January 20, 2013

『悔い改めよ』


「私達の主イエス・キリストが『悔い改めよ』と言った時、彼は信者の生涯全てが悔い改めでなければならないと意図しいたのです。」宗教改革者マルテン・ルター『95か条』の一

『ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」』マルコ 1:14−15

悔い改める事(自分の罪を認め告白する事)は、クリスチャンでない方の責任だけではなく、先ずクリスチャンの責任です。謙りましょう。このようにしてのみ、神の福音の恵みを豊かに味わえるのです。

Tuesday, January 15, 2013

「水戸黄門」


私は、若い頃「水戸黄門」をよく見ていました。。。水戸の光圀公(1628年〜1701年)または、徳川光圀は、賢人として見られています。が、彼には、光だけではなく、陰もありました。仏教や儒教の漢学が多かった頃、彼は、和学、その中の神道、を強調し、その学問を広めました。日本が『神の国』であって『他の国々より勝っている』こと、を教えていました。その結果、1868年、彼は、1000の寺が破壊されるように命じ、さらに一つの村に一つの神社が建てられるように命じました。

明治維新の頃、水戸の和学が復帰して、「尊皇攘夷」(そんのうじょうい)が広まっていきまました。「尊皇攘夷」とは、天皇を敬い、外国人を追い出す、という和学と神道の教えです。

今も、神道は、世界的な真理ではなく、明らかに日本のみある宗教です。イスラムや仏教や儒教は、主に中東やアジアにあります。でも、『世界のどこにでもある』ということがキリスト教の特徴です。聖書は、世界のベストセラーで、世界のどこにでもあります。キリストの生涯を基準にしている西暦のカレンダーは、世界中で使われています。

真の神は、天地、宇宙と世界を創られたお方です。「はじめに神が天と地を創造された」聖書・創世記1:1。世界のどこに行っても、教会があります。歴史的には、キリスト教は、欧米に多くありましたが、今は、中南米、アフリカ、アジアにより多いです。世界の一番お大きい教会の数々は、極東の隣の韓国にあります。

最近は、クリスマスでしたが、日本でも、周りを見たり、聞いたりすると、キリスト教のクリスマスに包まれていました。確かに、多くの日本人は、本当の意味を喜んで、お祝いしていませんが、松本のスパーアップルランドなどでクリスマス賛美歌が流れたりしました。クリスマスの広がりが、キリスト教が世界的な真理である、ことを物語っています。

「そのゆえは、神はその独り子(イエス・キリスト)を賜わったほどにこの世界を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。」聖書・ヨハネ 3:16 

2012年12月23日(日)のメッセージより

Sunday, January 13, 2013

スノーボード


先週末、息子達のジョシュアとシェーンがNORTHSTARで泊まって、スノーボードを乗鞍のゲレンデでしました。すごくよかった、と感動していました。

Thursday, January 10, 2013

ファロワーシップ


私は、最近、日本の首相の支持率について考えて来ました。だいたい、首相をはじめる時は、60%以上です。でも、あまりにも早く20%前後になります。最近数年はそうです。(比較するのは良くないが、アメリカの方では共和党や民主党の支持率は、両方ともだいたい50%前後です。)でも、どうしてかな?と思います。

確かにリーダシプ不足です。リーダーがコロコロって変わるのは良くないし、外国のリーダーと信頼関係が作れなくなるのです。でも、リーダーシップ不足だけではないと思うのです。リーダシップ(leadership)の代わりにファロワーシップ(followership)、言い換えれば従う人(国民)の姿勢の不足です。

すなわち、国民は、首相などに『神のみできる』ことを要求しているのです。国民は、リーダーも課題のある罪人だ、と言う事を認めてないと言う事です。また、国民は、自分も、同じように、課題のある罪人として認めてないのです。民は、皆、リーダーも、国民も、先ず、自分に罪がある事を認めなければなりません。


聖書は、明確に人間の不足、課題や罪について書いてあります。「原罪」と言います。聖書・ローマ3:23にこうあります。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず。」この真理が心に正しく入ると、国民に、リーダーに、不当な要求をしないのです。神や救い主にしないのです。

なぜなら、真の神と救い主は、唯一です。上の箇所の続きです。「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる(十字架の)贖いのゆえに、価なしに(救われ)義と認められるのです。」ローマ3:23−24 罪人のためのあわれみ恵みが豊かにあります。

このように恵まれると、どうやって、リーダー支え、その為に祈る事ができるかを考えるのです。ケネデー大統領はこう言いました。”Ask not what your country can do for you, but what you can do for your country." 「国が自分の為に何が出来るという事ではなく、自分が国ために何が出来るか要求するするべきである。」これは、国だけではなく、家庭も、会社も、学校も、教会もそうです。

Tuesday, January 8, 2013

高松へ


年末年始、家内の実家に1週間ほど行き、おばあちゃんに甘えました。 

ちょっと不満な顔ですが、本当は、うどん(特にざるうどん)が大好きです。


親戚にもあいました。教会のリーダーでもある上の茂夫の伯父さんと教会についていろいろ聞けました。


私達がはじめた高瀬キリスト教会の礼拝にも行きましたが、写真の高松シオン教会(奈帆のお母さんの教会)の元旦礼拝にも行きました。

子どもは、お年玉などを頂いて喜んでいました。

Friday, January 4, 2013

「見よ、すべてが新しくなりました。」


「キリストはそのままの私達を受け入れますが、彼が私達を受け入れる時、そのままの私達でなくなるのです。」ドイツの作家ウオルター・トロビッチ


“Christ accepts us as we are, but when he accepts us, we can not remain as we are.” Walter Trobisch

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」聖書・2コリント5:17

*不思議なキリストの恵みを体験した者は、その素晴らしい恵みによって変えられます。