「自分の悲惨さを知らずに神を知る事は、高慢を生み出す。神を知らずに、自分の悲惨さを知る事は、絶望を生み出す。」ブレーズ・パスカル
私達にとって二つとても大事な知恵があるのです。それは先ず「己を知れ」ということです。「自分の悲惨さを知らずに神を知ることは、高慢を生み出す」とパスカルはいいました。いろんな哲学、宗教や道徳は、人間を素晴らしくえがいています。果たしてそうでしょうか?確かに、動物と違って「神(造り主)に似せて造られました。」(創世記1:26、27)しかし、人間をさらに見ると、醜い(みにくい)ことが多いです。罪と苦しみによる「悲惨さ」が多いです。創世記3章が真実にその罪のはじまりを記録しています。聖書・ローマ3:23でこう書いてあります。「全ての人は罪を犯したのです。」
次に、聖書では(人間の悲惨さを書く前に)神の存在を明確にしました。聖書のはじめの文書です。「はじめに神が天と地を創造した。」(創世記1:1)「造り主を知れ」が何よりも大事なことです。そして、神を知る事によって希望があるのです。
私は、8年ほど前に、家族とアメリカに帰りました。でも、仕事が見つからず、人間関係が崩れて行きました。自分のいのちをとりたいくらいでした。その時に、私の希望は単純に、聖書のはじめの言葉でした。「はじめに神。。。」分かった事は、世間では言わない事です。『全ては、人間中心ではなく、神中心である。』人生は、人間にかかっていれば、希望が無いのです。しかし、天地を造られて神がいれば、希望が豊かにあるのです。
特に、そのアメリカにいた頃、”Hope In Christ”(キリストに希望)という看板のある教会で礼拝しはじめました。。。神は、天地を造られただけではなく、人となりました。イエス・キリストです。私達の辛い道を経験し、私達が自分の罪のゆえに死ぬべき死を代わりとなって死んで下さり、三日目に復活しました。そして、今も、私のような者のためにも、続けて祈り、励まし、顧みて(かえりみて)下さるのです。
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