私は、最近、日本の首相の支持率について考えて来ました。だいたい、首相をはじめる時は、60%以上です。でも、あまりにも早く20%前後になります。最近数年はそうです。(比較するのは良くないが、アメリカの方では共和党や民主党の支持率は、両方ともだいたい50%前後です。)でも、どうしてかな?と思います。
確かにリーダシプ不足です。リーダーがコロコロって変わるのは良くないし、外国のリーダーと信頼関係が作れなくなるのです。でも、リーダーシップ不足だけではないと思うのです。リーダシップ(leadership)の代わりにファロワーシップ(followership)、言い換えれば従う人(国民)の姿勢の不足です。
すなわち、国民は、首相などに『神のみできる』ことを要求しているのです。国民は、リーダーも課題のある罪人だ、と言う事を認めてないと言う事です。また、国民は、自分も、同じように、課題のある罪人として認めてないのです。民は、皆、リーダーも、国民も、先ず、自分に罪がある事を認めなければなりません。
聖書は、明確に人間の不足、課題や罪について書いてあります。「原罪」と言います。聖書・ローマ3:23にこうあります。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず。」この真理が心に正しく入ると、国民に、リーダーに、不当な要求をしないのです。神や救い主にしないのです。
なぜなら、真の神と救い主は、唯一です。上の箇所の続きです。「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる(十字架の)贖いのゆえに、価なしに(救われ)義と認められるのです。」ローマ3:23−24 罪人のためのあわれみ恵みが豊かにあります。
このように恵まれると、どうやって、リーダー支え、その為に祈る事ができるかを考えるのです。ケネデー大統領はこう言いました。”Ask not what your country can do for you, but what you can do for your country." 「国が自分の為に何が出来るという事ではなく、自分が国ために何が出来るか要求するするべきである。」これは、国だけではなく、家庭も、会社も、学校も、教会もそうです。
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