Tuesday, August 29, 2017

「世間の目を気にする」


「人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は守られる*。」聖書・箴言29:25

「世間の目を気にする」と言います。あまりにも、人を恐れて、動いたり、動けなかったりします。この聖書の箇所によると、その人は、罠にかかっているのです。身動き出来なくなり、真実なことや、キリストの愛によって行動できません。ある人は、人を気にして、教会にも行けません。「しかし」は、大事な接続詞です。開放される道があります。「主に信頼する」と「守られる」のです。ですから、人に束縛さらずに、自由に動けます。真実と愛を実践出来るはずです。いや、イエス・キリストの尊い恵と自由を味わうと、出来ます。

*「守られる」は、高い、悪の手の届かない安全なところにある、という意味。

Sunday, August 20, 2017

介護とプロ野球



「介護はプロ野球のようにスポットライトは当たらない。プロ野球など足元にも及ばないほど社会に貢献する仕事です。」元読売巨人*、現在東京基督教大学の教授中澤秀一は、さらにこう言っています。「介護は人間にとっていちばん大切な人と人との深い関わりができる仕事です。」

彼は、1978年、巨人にドラフト外で入団しました。しかし、3年で、夢は、途絶えました。後、介護福祉の世界に入りました。イエス・キリストに対する信仰をこう語っています。「どうせ信じるなら神さまは一つだというキリスト教でもいいか、という軽い気持ちで洗礼を受けてしまったのです。。。そんないいかげんな信仰しか持っていなかった自分を、神さまは正しい方向へ導いてくれた。。。『私を大学の教授にして下さい』と無謀な祈りをした。。。その祈りが現実のものとなっているのを知ったとき、神さまへの畏れを感じた。『こんないい加減な信仰、無謀な祈りにも神さまは応えて下さる。神さまを裏切るようなことはしてはいけないと思うようになりました。』」


「このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」使徒パウロ、聖書・使徒の働き20:35


クリスチャン新聞より:元プロ野球選手のオンライン

* 注意:私は、30年以上前からカープファンです。

Sunday, August 13, 2017

『人よ。汝自身を知れ』



「人はみずからの造り主を知るまでは、みずからを知りうるとは、はなはだ疑問なのだ。」チャールズ・スポルジョン

引用の全部「われらの礼拝は知的でなければならない。われわれはその拝するお方が、いかなるお方であるかを知り、また、なにゆえに拝すべきかを知っていなければならない。『人よ。汝(なんじ)自身を知れ』とは賢者の警句であったが、実は、われらの神を知ることこそ、それより真実の知恵なのだ。人はみずからの造り主を知るまでは、みずからを知りうるとは、はなはだ疑問なのだ。」

「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。」聖書・詩篇100:3

Sunday, August 6, 2017

キャンプ


先週の金、土、私たちは、天龍村のキャンプ場で一泊しました。この10月、私は、60歳になりますから、このような家族の時間をもつくとは少なくなるでしょう。よけいな物のない中で、子供達と話せることは恵みです。



Sunday, July 30, 2017

「さあ、主に向かって、喜び歌おう。。。」


昨日、豊かな命キリスト教会で詩編95編から「礼拝とは何?」について語りました。


どうしてクリスチャンは、賛美歌や聖歌を礼拝の大事な部分にするのでしょうか?私は、上のメッセージにこの例えを使いました。

奈帆の結婚指輪の為に私の母は、母のお母さん、私のおばあちゃんの結婚指輪を下さいました。例えば、奈帆と私が『鑑定してもらいましょう』と言います。宝石屋さんは、初めは、ただ眼鏡を入れて、ただ見ます。でも、不思議に少し時間がかかるのです。彼は、眼鏡を落とし、裏にある本を調べはじめます。そして、息が荒く成りはじめます。初めは、冷静に調べていました。でも、今は、感動しているのです。そして、こう言います。「これは、何々のダイヤで、この金は、何何です。」奈帆と私も感動しているのです。喜ぶ、叫ぶのです。
神を、その恵みを、さらに知り、体験すると、心が動き、讚美せざる終えないのです。


ですから、こう歌うのです。詩篇95:1−2「さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。」


Sunday, July 23, 2017

日野原重明医師105才で召天



日野原重明医師が7月18日に105才になって天に召されました。BBC Newsにもありました。彼の100歳超で現役医師として活躍した経歴は、優れてものです。でも、彼より優れているのは、彼の救い主イエス・キリストです。「ことば(イエス・キリスト)は人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」聖書・ヨハネ1:14 主の御前にいる日野原師は、今、これを深く実感しているのです。


彼を変えた言葉は、聖書1コリント13章の『いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。』彼は、続けてこう書いています。「私は今でもこの聖句が一番私の心の導きになっている。この聖句の意味は、歳と共に実ってゆき、私の老いを成熟させてくれているように思う。」(日野原重明の名言)


今週の29日にキリスト教式告別式を東京都の青山葬儀所で行います。



Sunday, July 16, 2017

「すべて、疲れた人。。。」


私たちは、倒れないように、いわゆる「人生の自転車」を頑張って常にこいでいます。仕事、子育、奉仕を通して『自分は、大丈夫』と家族、学校の友達、会社の人皆に頑張っている姿を見せているのです。教会の礼拝でさえも、道徳的なパフォーマンスの一つに成っているのです。そして、あなた、は、疲れ果てています。主は、私たちに、こう語っています。「疲れたものよ、私のところに来なさい。私を信じなさい。休ませてあげます。私は、十字架上で『全てを完了しました。』自分を立証するためには、もう何もしなくても良い。信じるあなたは、私に完全に受け入れられています。安らいで、歩みなさい。」

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」イエス・キリスト、聖書・マタイ11:28