Tuesday, December 18, 2012

ピエタ


上のサン・ピエトロのピエタ(『悲惨』と言う意)を見た時、
私は、同じ姿のイエスを思い浮かびました。
マリアに抱かれている幼子イエス(下)。
このような絵は多い。Madonna and Child 
上は死なれた時、下は生まれた時。
そして、思い出した。
イエスは、死ぬために、生まれたのである。
死ぬために生まれたのなら、
その死は、けして『悲惨』ではない。
私達が真に生きるために、
イエスは死なれたのだ。
また、復活したのだ。

彼は主の前に若枝のように芽ばえ、
砂漠の地から出る根のように育った。
彼には、私たちが見とれるような姿もなく、
輝きもなく、
私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、
人々からのけ者にされ、
悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ、
私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、
私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、
神に打たれ、
苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、
私たちはいやされた。
私たちはみな、
羊のようにさまよい、
おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
聖書・イザヤ53:2−6

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