Wednesday, August 28, 2013

「奇しいことをなさって恐ろしいほどです。」


アレキサンダー・シアラスが受胎から誕生までの胎児・赤ちゃんの成長を強力な医療可視化技術で見せます。ここクリック:アレグザンダー・シアラス 「受胎から誕生までを可視化する」 | Video on TED.com

特にこの引用に注目 「これ(赤ちゃん・胎児の成長)がどのようにで行われる数学的モデルの複雑さは、人間の理解を超えています。私自身数学者ですが、れら一連の命令はミスすることもなく私たちの体を作っていくのを、驚きをもって思って見ています。ミステリーであり、魔法であり、神を思わせます。」アレキサンダー・シアラス、数学者

"The complexity of these things (child's development), the mathematical model of how these things are indeed done, [is] beyond human comprehension. Even though I am a mathematician I look at this with the marvel of, 'How did these instruction sets build that which is us?' It's a mystery, it's magic, it's divinity." Alexander Tsiaras

「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。」聖書・詩篇139:13−14

Tuesday, August 27, 2013

オンギジャイ



韓国のグスペルグループオンギジャイが安曇野ファミリーチャペルを訪れる。25日

賛美ゼミ

賛美

ピアノを含める弦楽器

韓国と日本の間に緊張があるのに喜んでくる。すごい!

Monday, August 26, 2013

慈悲とは強いられるものではない。



慈悲とは強いられるものではない。

優しい雨のように天から下界へと降り注ぐものだ。

慈悲は与える者とあずかる者に二重の祝福を与える。

偉大な力の中でももっとも偉大なものだ。

即位した君主には王冠よりもふさわしい。

その統治は一時の力を示すものであり、

畏怖と厳格さをあらわしている。

そこにあるのは王へのおそれに他ならない。

だが慈悲とは統治以上のもの。

それは王の心に位を戴き、

神そのものに由来する。

だから地上の力が神の力に似通うとすれば、

正義に慈悲が伴ったときなのだ。
ユダヤ人よ、
お前の申し立ては正義であろう。
だが考えてみろ、

正義を求めても救いがあるとは思えない。

私たちが願うのは慈悲だ。

だからひとにも慈悲をほどこす。

ウィリアム・シェクスピア、ヴェニスの商人

「あわれみ深く柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。」イエス・キリスト、聖書・マタイ5:5

上の詩の背景:人肉裁判 Most learned judge! :ヴェニスの商人

最近見た映画:ヴェニスの商人 | Movie Walker

Thursday, August 22, 2013

「空の空」 19



「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから。雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒されると、その木は倒れた場所にそのままにある。風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたはいっさいを行われる神のみわざを知らない。朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。」伝道者の書11:1−6


私たちは、なぜ生まれたのか?なぜ学校に行くのか?でも、なぜ働くのでしょうか? ソロモン王は、ここで「働く意義」について語ります。

確かに、ソロモン王は『知恵は神抜きでは空しい』と言いました、伝道者の書1:12−18。究極的にはそうです。でも、毎日の生活の中では、知恵や分別が必要です。知恵を生きがいにはしないのです。真の神を生きがいにするのです。が、また、毎日の生活の中では知恵を適度に適用する必要があるのです。

先ず、多く与えよ、とソロモンは知恵を促します。

「あなたのパンを水の上に投げよ」とはじまります。「日常の常識を破る一撃です。」小畑進 もったにない!が、生活の大事なパン(日本ではお米)をあまりにも大事にするな、と言うことです。イエス・キリストはこう言いました。「人はパンのみによって生きるのではない。」ということは、逆に、まことに価値あるお方ー天地を造られた方—を最も大事にするのが極めて大事です。

戦国の勇者伊達政宗(写真)は、ある時、とても大事にしていた茶碗の名器を落としそうになって被汗をかいたそうです。当時、大名物といわれる茶碗は『一国一城』の価値がありました。幸いに割れませんでした。が、しばらくすると、政宗は、その名器を鷲づかみにして、庭先の沓脱石(くつぬぎいし)に叩きつけて木っ端微塵(こっぱみじん)にしました。伊達政宗はこう言ったそうです。「そも天下の豪傑ともあろうものが、たかが一塊の土くれ茶碗ごときものに、かくも魂消える、死ぬほどうろたえるとは何事ぞ。茶碗のための政宗か。政宗がための茶碗か。この心配のタネを木端微塵にしてやったわ。」

いつか、あなたも、自分の“茶碗”の奴隷となってしまっているのではないでしょうか? 人生の身軽さ、自由がすすめられているでしょうか?私たちは、本当に大事なものを大事にしているのでしょうか?栄光の神を、私たちのために死なれた方イエス・キリストを?

「あなたのパンを水の上に投げよ」と言うことは、もたいないように人に与える、という意味も含めていると思います。なぜなら「あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ」と続けて書いてあります。恵まれたあなたは、その困っている尊い人に、自分の恵みから惜しまずに与えるということです。恵みを知っていればのことですが。。。

今度は、ソロモン王は、人のわざではなく、自然のわざについて語ります。そして、その動きの後ろに神の摂理があるのです。「雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ」のです。自然が自然に動くのです。自分があまりにも人生を計算(人生算盤)しすぎていることに恥ずかしくなります。「あなたのパンを水の上に投げよ」のように、もったいないように、施しをして良いのです。いや、キリストの恵みを体験した者は、そのように生活しなさい、とイエスは、励ましました。『受けるよりも与えるほうが幸いである。』

次に、良く働けよ、とソロモンは知恵を促します。

与える為に働け、と言うことです。「困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。」聖書・エペソ4:28 「風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。」風向きをうかがうのは良いとしても、風向きばかり気にしているうちに、種蒔き時を逸し、刈り入れ時を失ってしまうのです。最後にこうあります。「朝のうちにあなたの種を蒔け。。。」「今の自分の責任をはたしたまえ、君!」小畑進

「知らない」という言葉が何度も出て来ます。「あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたはいっさいを行われる神のみわざを知らない。。。あなたは、あれか、これか、どこで(仕事で)成功するのか、知らないからだ。」私たち人間は、自分の行為やわざを強調します。施すことや、働くこと。しかし、大事なのは、摂理を持って「行われる神のみわざ」です。私たちは、神の御わざをより大事にする必要があります。だが、その、神の働きが分からな時が多いです。ですから「ただ神の御旨にあり」です。私たちは、私たちの仕事において、神の摂理を知らないからこそ、我がままに計算するのではなく、全てを神に委ね、貧しい人に施し、それをまた出来るように、勤勉に働くのです。

でも、知っている「神の御旨」は、素晴らしくキリストの十字架に啓示されています。神は、死ぬほど人を愛しているのです。それが神のお心です。キリストを信ずる私たちは、これを『知っている』から、惜しまずに与え、また、勤勉に働くのです。

使徒パウロは、ソロモンの千年後にこう言いました。「この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」聖書・使徒の働き20:34−35

私たちの働く主な目的は、造り主の栄光の為にです。私を十字架で死ぬほど愛している神を愛しているからです。でも、「働く意義」のもう一つ理由があるのです。隣人愛です。「あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ」です。施すことが出来るようにです。

「罪人の首・森永太一郎」


森永製菓の創立者・森永太一郎は、宣教師からキャラメル製造法を学びました。天使印をつけ、『西洋カラメル』と称して、車の引き売りを始めました。成功、大成功で巨富を得ました。しかし、よからぬほうに走って、おのれを失ない、神をも見失ないます。ふところはふくらむいっぼう、霊魂はやせ、かれた。やがて、目がさめて、わが身についた一切をかなぐり捨て、貧民窟のドブ板を踏んで、横丁から横丁へ、路傍伝道に生命をかけた。
  「罪人の首・森永太一郎」
と大書した幟(のぼり)を立てて、身をささげ、施しをして、人生の最后を飾りました。身がスッカラカンになって、今一度本来の自分を再発見しえたのです。

「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」聖パウロ、聖書・1テモテ1:15

Wednesday, August 21, 2013

阿寺渓谷でキャンプ



8月19日〜21日

家内のナホが写真を。

 飯!

 Josh, Hosahna and Shane

 水がきれい!

しかし、寒い!。。。私です。

阿寺渓谷は、大桑村(南木曽の当たり)にあります。

注意:最近三人が亡くなりました。注して泳いで下さい。


Friday, August 16, 2013

軽井沢へ



8月15日〜16日、TEAM宣教団体の宣教師と一緒

共に礼拝


講師:ジム・マイヤー博士


私たちのキャビン

リラックス出来ました。



横浜へ



8月12日ー14日、安藤さんが私たちを横浜に招いて下さいました。
家内の子供の頃の教会と学校を見ましたが。。。

おいしい寿司を作って下さいました。


観光したり。


ヘボン式ローマ字で有名なあの優れた宣教師ヘボンの家跡を見た。


最後に安藤さんの教会の祈り会。

Friday, August 9, 2013

「神様がいつも見て下さる」



カナダのL.E.マクスウェル博士 (Wikipedia)は、子供の時から母親に、「神様はいつでも見ていらっしゃる」ということを聞かされてきて怖くてしかたがなかった。しかし、青年時代、心から罪を悔い改めて、イエス・キリストを信じ受け入れ、神に従う決心をして以来、「神様がいつも見て下さる」という事実は、なんと素晴らしい励ましであり、ことばに尽くせない慰めとなった。

「見よ。イスラエル(神の民)を見守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」聖書・詩篇121:4 「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」イエス・キリスト、聖書・マタイ6:26

▶ ウィットニー・ヒューストン"His Eye Is On The Sparrow" (神は、雀さえも守る)- YouTube

NorthStar



8月7〜9日、家内のナホとホサーナと一緒にNorthStar(弟のロッジ)を尋ねた。
息子たちは登山。

新しい建物

近くに無料温泉

良いヘア

Joined Tina for a pizza lunch

ホサーナとハイキング〜花との出会い

 食事は最高!

車で数分したら大番所の滝

お昼はそば

NorthStarは、乗鞍にある。

Monday, August 5, 2013

偉大な業



「偉大な業は、隠されると最も尊敬に値する。歴史においてこれを見ると、私は非常に喜ぶ。しかし、本当は、完全に隠されていない。なぜなら、知られている。人は、出来るだけ隠そうとしたが、それを公にされたことがそれをだめにした。なぜなら、その一番良いところが隠されたことであった。」ブレーズ・パスカル

 “Noble deeds are most estimable when hidden. When I see some of these in history they please me greatly. But after all they have not been quite hidden, since they have been know; and though people have done what they could to hide them, the little publication of them spoils all, for what was best in them was the wish to hide them.” Blaise Pascal

「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。」聖書・マタイ6:3

Sunday, August 4, 2013

信大


学生が物語エッセイのアウトラインを書く。
今日は、信州大学の前期の最後の日。