Sunday, June 23, 2013

「重荷を負う者、我に来たれ」


詩画作家の星野富弘さんがまだ高校生だった頃、家の近くに十字架の墓が建てられた。富弘さんは家の農作業の手伝いをするときに、たい肥の入った大きな籠を背負ってたびたびその前を通った。その十字架には「労する者、重荷を負う者、我に来たれ」と書かれていた。まだ聖書を知らなかった富弘さんは、これはどういう意味だろうかと考えた。「この言葉は、俺のように重い荷物を背負った人のことかな」とも思ったが、しかしそこに記された「我に来たれ」の「我」というのが誰のことなのかはわからぬまま長い年月が過ぎ去った。


しかしあの大きな事故の後、ベッドに寝たきりの生活の中で聖書を読むようになって初めて、「ああ、あれはキリストの言葉だったのか!」と気づいたと言う。富弘さんはその時初めて、あの言葉「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところへ来なさい」(聖書・マタイ11:28)を、キリストの言葉、神の言葉として見上げたのである。ここからクリスチャンとしての富弘さんの新しい人生が始まったのである。


星野富弘さんの「いのちより大切なもの」より

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