Sunday, September 16, 2018

「神を知る。。。」


「神を知ることができるのは、イエス・キリストを信じる信仰によってであり、また、その信仰自体が神から与えられるものである。」ブレーズ・パスカル

「ピリポはイエスに言った。『主よ。私たちに父(なる神)を見せてください。そうすれば満足します。』イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。』」ヨハネ14:8−9前半

パスカルについてもっとよむ:ブレーズ・パスカル

Thursday, September 13, 2018

野辺山


奈帆と私の結婚20周年のために野辺山に行きました。

八ヶ岳(&清里)の近く。

振り返る、読書する時も。

"ロック"でステーキを。

フォト・ギャラリー

この地域は、農産で有名です。

”奈帆、20年ありがとう!”

Tuesday, September 4, 2018

「ソウルの女王」


「ソウルの女王」アレサ・フランクリンが先月の16日に天国に召されました(ゴスペル歌手であり続けたアレサ・フランクリンの信仰)彼女のお父さんは、牧師で、彼女もクリスチャンでした。


「光に歩む」は、彼女の信仰を表しています。聞いて下さい。「光に歩む」Youtube。

歌詞は、これです。

イエスは、世の光。(光に歩め)
麗しい光。(そうです。麗しい光)
恵みのしずくが明るく輝くところにきなさい。(主よ)
昼も、夜も、周りに輝く。
Oh oh oh oh、イエスは、世の光。

どうですか?この夜、あなたは、知っていますか?
Yeah yeah yeah

光に歩め。(光に歩むべき)
麗しい光。(そうです。麗しい光)
恵みのしずくが明るく輝くところにきなさい。
Oh 主よ、昼も夜も周りに輝いて下さい。
Oh 主よ、イエスは、世の光。

Oh oh oh, oh oh oh oh, yeah

光に歩め。(最後までやり通す、yeah)
麗しい光。(光のところまで最後までやり通す)
恵みのしずくが明るく輝くところにきなさい。(恵みのしずくが明るく輝くところに)
昼も、夜も、周りに輝く。
(Oh 主よ)イエスは、世の光。(主は、世の光)

彼は、輝いている。(Yes、彼は、輝いている)
彼は、輝いている。(Oh Yes he is、彼は、輝いている)
彼は、私の魂に輝いている。(oh yes he is, oh yeah)


聖書・ヨハネ8:12「イエスはまた彼らに語って言われた。『わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。』」

参考:アレサ・フランクリン氏死去、「ソウルの女王」の人生を振り返る~CNN、
Aretha Franklin’s One Faith

Tuesday, August 28, 2018

「ひとかわむけばみんな同じだ」



『暴力団本拠を急襲した警視庁の刑事たちが、証拠品を前にしてシブイ顔になった。没収した譜面「稲川同志会の歌」が、自分たちのよくうたう「機動隊の歌」と似ていたからである。作者を見ると、どちらも同じ川内康範だった。警察と暴力団の歌のフィーリングが似ているのは、どうにもいただけない話しだが、作者は、「ヤクザだって、警察官だって、ひとかわむけばみんな同じだ」といっている。』

心、態度、動機をしっかり見ると、聖なる聖なる生ける神の前では、牧師も、警察官も、医者も、主婦も、オーエルも、サラリーマンも、子供も、おバーちゃんも、皆んな、聖書で言う、「罪人」(つみびと)なのです。皆平等なのです。また、謙虚になるべきです。。。あなたも、私も、そうです。

有名な使徒パウロは、正直に、自分についてこう言いました。聖書・ローマ7:24−25「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。。。」

Sunday, August 26, 2018

軽井沢アゲーン


数日、軽井沢を訪ねた。

読書をいっぱい楽しんだ。(軽井沢レトリートセンター)

奈帆と軽井沢銀座


ショー記念チャペル。

聖書は、安息をとても大事にしています。「十戒」の大事な一部であります。聖書・出エジプト記20:8「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」あなたは、十分に『安息』を取っていますか?体の安息も大事ですが、心の安息も大事です。1番大事なの安息は、生ける神に安らぐことです。「主よ、あなたは、御自身の為に私たちを造られました。そして、あなたに安らぐまで、私たちの心は安らぐ事は無いのです。」アウグスティヌス

Sunday, August 19, 2018

マイケル・チャン:錦織・圭のコーチ



マイケル・チャンは、17歳で、男子シングルス最年少優勝記録のもち主です。2013年12月、錦織圭のコーチになって、現在も、コーチを務めています。彼は、また熱心なクリスチャンです。

マイケルは、若い頃の自分を振り返りました。一度コートから離れれば、彼は「自分は何者なのか。。。」と苦悩する一人の少年だったと、言いました。「テニス選手としては成長していたが、内面はまだ少年のままだった」と。


教会を訪ねた時、礼拝で語られた「神はすべての出来事に理由をもっている」という言葉が心に刺ささりました。


家に戻ったら、放置していた聖書をむさぼりながら、読みました。『聖書に書かれていることは、すべて真実で正しい』と感じたのです。『私のいのちのために、十字架で死んだキリストの愛はなんと大きいだろうか。何が起きても、キリストは、私を捨てない』と感じたのです。「私の心に来てください。私をあなたの目的にしたがって変えてください」とイエスに祈ました。「私は、その時、イエスを知り、イエスについていく生き方をしようと決断した」と彼は、言いました。


その数ヶ月後のことです。全仏オープンの表彰式の時、栄光を神様に返しました。『主イエス・キリストに感謝します。イエスなしでは、私はナッシング。」その時の思いを語りました。「勝ち負けではないという思いだった。神様が勝利を与えてくれた」と言いました。沖縄タイムス


「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」聖書・ローマ8:28

参考:マイケル・チャン、いのちのことば社

Sunday, August 12, 2018

「救うために」


「私たちは、溺れていいて、どうしようも無い状態です。人が『助けて!助けて!』と叫んで、湖で溺れそうな時に、「どうぞ」と言って、けして泳ぎ方のマニュアルを投げ込みません。イエス・キリストは、泳ぎ方を教えるためではなく、道徳を教えるためではなく、逆に私たちを救うために、代わりに生きて、死ぬために来たのです。水泳教室の先生を送るのではなく、イエスみずから水に飛び込んだのです。そして、命を捧げたのです。キリストは、私たちの先生ではなく、私たちの救い主、いわばヒーローなのです。」ティム・ケラー牧師のメッセージから


聖書・ルカ 19:10「人の子(イエス・キリスト)は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

Monday, August 6, 2018

神からの手紙- 聖書


皆さんはラブレターをもらったことがありますか? 私は出したことはありますが、もらったことがありません。でも、もし誰か素敵な人からラブレターをもらえたなら、一生懸命読むだろうと思います。

でも、もしラブレターをもらった人が、せっかくの手紙を見て「可愛い便せんだな」とか「めずらしい記念切手だな」とか、つまらないところに感心して、大切な中身を真剣に受け取らないとしたら、何と野暮というか、気のきかない人だ、と思うでしょう。

ところが、意外に聖書について同じことをしている人が少なくないのです。

ある人は聖書をよく知っています。ところが、見れども見えず、聞けども聞こえず、「まさに自分のために、自分のことが書いてあるんだ!」ということに気づかないで他人事のようにして読んでいる、野暮な人もたくさんいます。

ですから、お勧めしたいことは、聖書を読むとき、どうか「自分への手紙」として読んでいただきたい、ということです。あなたは聖書を通して、神の声を聞くことができます。

古代の遺跡は私たちに「聖書は真実ですよ」と告げています。宇宙に浮かぶ天体も、「聖書は真実ですよ」と告げています。世界の歴史も、「聖書は真実ですよ」と告げています。あなたの一生について、あなたの幸福について、聖書は本当のこと、大切なこと、信頼すべきことを告げています。どうぞ、聖書のことばを、あなたにあてられた大切な手紙として、お読みになられますように。

「神の目には
あなたは高価で尊い。
神はあなたを愛している。」
聖書のことば

「聖書館」より

Monday, July 30, 2018

愛って?


ピーナッツ  「チャック*、愛ってなにか教えて?」「イエスと言う方」



聖書・1ヨハネ4:9−10「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」

Sunday, July 22, 2018

「きずな昼食会」


豊かな命キリスト教会で礼拝している3人が「きずな昼食会」で貧しい方々に仕える。

貧しい方々の為に教会がスウィートのパンを寄付。

野菜などを袋ずめ。

昼食を一緒に作り、食べる。

Monday, July 16, 2018

100% JESUS


ネイマールのハチマキに”100% JESUS" とキリストへの愛を表しています。

「キリストがすべてである。」聖書・コロサイ3:11 

Monday, July 2, 2018

清水寺のきよめの水


「いくら清水寺のきよめの水を口にそそいだり、手にかけても、きよまるものではない。これをすることは、自分の身も心もきよくないことを認めている証拠である。」ダビデ・マーチン

聖書・1ヨハネ1:8−9「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、(主イエスの十字架のゆいえに)その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」

*教会の洗礼も、私たちを清めることはできません。キリストの血潮のみがそう出来ます。


Sunday, June 24, 2018

レイ・シドニー


レイ・シドニーがゴスペルを歌い続ける理由 | THE4POINTS - YouTube

聖書のゴスペル〜福音〜がその理由です。福音とは、良き訪れです。聖書の1コリント15:1でこうあります。「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。」そして、その福音を説明します。3節「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと。」

ここでもっと福音について知って下さい。あなたはどうやって生きる? 

参考:RaySidney - YouTube、”Amazing Grace” - YouTube

Monday, June 18, 2018

あなたはどうやって生きる?


これを聞いて下さい。あなたはどうやって生きる?| THE4POINTS - YouTube

「神様はどんなあなたでも愛している。私たちの罪は私たちと神様を引き離したけど、イエスキリストが私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかったから、私たちは神様と一緒に生きて行ける。」

ヨハネ 3:16、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

Sunday, June 10, 2018

罪とは?


関西学院大学神学部(旧約聖書学)城崎進教授はいう。

「罪とは形式的には神に対する不従順であるが、自質的には、神の権能を犯し(創世記3:5、6)自ら神に代わって全てのことに対する裁き人となること。つまり自己神化、自己絶対化にほかならない。」

「あなたがたが神のようになる。」サタン、創世記3:5

Thursday, June 7, 2018

じのない本


私が聖書の良き訪れを始めて本当に知ったのは『じのない本』をエバンジェライン叔母に分かりやすく説明された8才の時でした。ぜひ、読んで下さい。

金のページ − 天国
天国はきよい神さまのいらっしゃるところ。天国は、罪も、死も、夜も、悲しみも、病気もありません。罪のある人は、だれも天国にいけません。でも神さまは、すべての人が天国にいくことをのぞんでおられる。

黒のページ — 罪
世界じゅうの人の心には罪がある。うそ・いじわる・ぬすみなど。罪があるので、わたしたちはしてしまうね。それから神さまを信じないことも罪なんだよ。すべての人は、罪のために神さまのいらっしゃるところにいけないのだ。

赤のページ − 主イエスさまの血
罪があるとばつを受けなければならない。主イエスさまは、わたしたちの罪のばつをかわりに受けて、十字架の上で死んでくださった。神さまは私たちを愛しておられるので、ばつ受けなくてもよいようにしてくださったんだね。

緑のページ — きよい心
主イエスさまを信じると、罪がゆるされてきよい新しい心をいただく。そして神さまの子どもになるのだ。「きみも罪のために死んで下さったイエスさまを信じない。」

緑のページ − 成長
神さまの子どもとして成長しよう。ちょうど、草や木が生長するように、聖書を読もう、神さまに祈ろう、教会に行こう、イエスさまのことを友だちに話そう。

聖書・ヨハネ3:16「神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」



日本児童福音伝道協会

Sunday, May 27, 2018

B.B. キングの「ラヴ・カムズ・トゥ・タウン」


ラヴ・カムズ・トゥ・タウンの英語名は”When Love Comes to Town." 直訳すると「愛が待ちに来た時」です。ブルーズ界の巨人B.B.キングがU2と一緒に歌っているのを聞いて下さい。B.B. King & U2 - When Love Comes To Town - CLIP - YouTube。英語の歌詞は、ここーWhen Love Comes to Town Lyrics 。

注目して欲しいのは、幾つかの歌詞です。先ず”I was a sailor, I was lost at sea。” B.B. は、自分を「迷っていた船乗り」に例えています。しかし、「愛が町にくる』のです。そして彼は「愛の電車に乗る」のです。"Love comes to town I'm gonna jump that train."

「愛」とは何・誰か?それは、後でわかるのです。

引用します。
I was there when they crucified my Lord
I held the scabbard when the soldier drew his sword
I threw the dice when they pierced his side
But I've seen love conquer the great divide


愛は、イエス・キリストの事です。

訳します。
主を十字架につけた時、私は、そこにいた。
兵隊が剣を抜いたとき、私が、さやを持っていた。
彼の脇腹を刺した時、私は、さいころを投げた。
しかし、愛は、大きな隔たりに打ち勝った。

B.B.は、こう言っているのです。「私の罪がイエス・キリストを十字架につけた。でも、それによって、私は、愛に預かったし、愛は、勝利した。イエス・キリストによって。」

差別と言う「大きな隔たり」に打ち勝ったのです。

聖書・1ヨハネ4:9−11「神はそのひとり子(イエス・キリスト)を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、(十字架上での)なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。」

Wednesday, May 23, 2018

『愛』


ロイヤルウェディングでマイケル・カリー主教によるメッセージで70回以上『愛』という言葉が繰り返されました。(Mirror Online)


愛の最高点は、イエス・キリストと言う人物です。カーリエ司教は、こう言いました。「イエスが死んだのは、それでなにか得することがあったからではありません。死ぬことで、名誉博士号を得たわけでもありません。なにも得しなかったんです。ほかのひとのため、この世の幸せのために、自らの命をあきらめ、犠牲にしました。私たちにとって、愛とはこのようなものなんです。」


カーリエ司教が引用した箇所にこうあります。1ヨハネ4:10、「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物(犠牲)としての御子(イエス・キリスト)を遣わされました。ここに愛があるのです。」


*メッセージを英語で聞く:US Royal Wedding: Most Rev Michael Curry, presiding bishop and primate of the Episcopal Church - YouTube



Monday, May 14, 2018

『実るほど。。。』


『実るほど頭を垂れる稲穂かな』

英国のトーマス・ワトソン師は、こう書きました。「木が実で溢れていれば、その枝は、低く下がる。」 “The fuller a tree is of fruit, the lower the bough hangs.” Thomas Watson 

「私たちは、高く建てたければ、低くはじまる必要がある。」イギリス、リバープールのライル司教  “We must begin low if we would build high.” Bishop Ryle of Liverpool

「しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。『神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。』」聖書・ヤコブ4:6

Monday, May 7, 2018

十字架の絵


明治時代に、ヘボン式ローマ字で有名なジェームス・カーティス・ヘボン は、日本の横浜などで、宣教師、医者、教師として活躍しました。

ヘボンの家に、キリストの十字架につけられた絵がありました。しかし、キリシタン禁制の時代だったのです。神奈川奉行にこの絵を差し押さえようとしました。その時、奉行の方が「ヤソ(イエス)はなぜ十字架につけられているのか?」と尋ねたら、ヘボンは十字架の愛*について語りはじめました。それは「ご利益のようなものか?」「いえ、そうではありません。愛は、相手のために命を捨てることができるものです。」「そうか、愛とは慈悲に近いものだな。」「いえ、もっと深いものです。自分を傷つける者さえも抱きしめることができるものです。子供が母の手を振り切って、危険の中に自ら入ってしまうように、私たちも自分で何をしているのかわからない罪の中にいます。危険な火事の中に何も知らないで飛び込む子供のような私たちを助けるために、イエス様は十字架の上で代わりに死なれたのです。」その奉行の方は、やっと愛について理解しはじめました。

その後、大使館専属の医師に任命されました。ヘボンは身の危険が及ばないためだったのです。不思議に、十字架の愛について尋ねたその奉行の方がその提言をしてくれたのです。彼は十字架の愛について理解したのでした。

「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」聖書・1ヨハ4:8ー9


* 当時の日本人、は「愛」について全然を知らなかったのです。