Wednesday, March 27, 2013

「親しいものに感じた」



「私は、それらの本(漢文の『聖書入門』など)を綿密に注意して読んだ。私は一方では懐疑を持ったが、一方ではうやうやし畏敬の念に打たれた。私は以前読んだオランダ語の書物によって、造物主の名を知ったが、簡単な<漢訳聖書史>の中に出てくる、神が天地を創造したという単純な物語を読んだときほど親しいものに感じたことはなかった。私たちの住んでいる世界は神の見えざる手によって創造せられたもので、偶然にできたのではないことを私は悟った。私はその同じ歴史の中に、神の別名が天の父であることを発見した。それは、私の心の中に今まで以上に神に対する畏敬の念を起こした。なぜなら、神は単なる造物主でなく、それ以上のものだと思われたからである。すべて、これらの本は、私の一生涯の最初の二十年間の間、私から全く隠されていたものを、幾分おぼろげではあるが、心眼に見せてくれた。」新島襄

『初めに、神が天と地を創造した。地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。』創世記1:1−3

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