Friday, April 6, 2012

神が夢を叶える


小堀孝良氏(写:小堀氏、ジャン兄と一緒に天ざるそば)

豊かな命教会・礼拝 メッセージ 2012年3月25日


『主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。』詩篇139篇1節―6節



私が初めて豊かな命教会に伺いましたのはちょうど6年前で、名古屋から池田町に移住して2年経った時でした。その時にお証しをしたので覚えておられる方もいるかも知れませんが、今日はその後のことも含めて、私の田舎暮らしの夢が、神様によって如何に叶えられたか、ということをお話したいと思います。

私は東京生まれですが、小学校からの殆んど完全な名古屋人です。来月「古来稀なる」歳になります。そんな長い人生を全部お話していたら夜になってしまいますので、会社、信仰、信州の3つに絞ってお話したいと思います。

会社・・・私達の世代は、日本の高度成長を支えて来た、所謂「企業戦士」で、早朝から深夜まで、仕事仕事又仕事、仕事が終われば一杯飲んでカラオケ・麻雀、土日はゴルフに明け暮れ、「男は外で稼ぎ、女は家庭を守る」のが当然といった、典型的日本人亭主でした。その頃の価値観は、「弱い強い」「貧乏より金持ち」「ヒラより部長」といった、この世の人間が決めた基準でした。そして、名古屋の、中堅企業でしたけれども、40代後半で役員になり、年に数十回ゴルフに行ったのもその頃です。

今から15年ほど前に、その会社のオーナー社長と意見が合わず、株主総会前の役員会で突然退任、要はクビになってしまいました。幸いにも応援してくれる人がおり、子会社へ転出出来ました。

親会社は商社で、私は総務担当でしたので、毎朝7時過ぎには出社します。子会社は工場なので8時半前に出勤しますが、私はそれまでの癖で早く着いてしまいます。時間に余裕が出来た為、家内がよく読んでいる聖書とやらをいっぺん読んでみようかと、ひそかに読み始めました。ビックリしました。「神話ではない」「人間を造った方がいる」と確信しました。

そして、その子会社の営業エリアが長野県にもあったんですね。長野県、つまり信州は昔から好きな所で、初めて上高地へ行ったのはもう56年前のことです。そして気がついたことは、それまでは信州の素晴らしい景色を見ても、「ア~綺麗だなぁ」と単に感慨が沸くだけでしたが、子会社で、自由に好きな所へ行って、余裕があるものですから、じっくりそれらの景色、山や川、新緑や紅葉の樹木、豪華な花や高山の可憐な花などを見るたびに、これは我々が習ってきた進化論的世界と違うぞという感じがしてきました。進化論的に言えば、スミレよりバラの方が花の価値としては上、つまり値段が高い、スミレも努力してバラにならねば、と言うものです。人間も、弱い人は努力して強く、金のない人は努力して出世して金持ちに、即ち、BE=存在することの大切さでなく、DO=何かをする、出来ることが大切という価値観ですね。

   会社を突然クビになって、人の思い的には生活の心配でしたが、神が下さったのは、創造主がおられ、この世は創造主によって造られたことを知ると言う、素晴らしい恵みでした。そして、楽しく営業する所為か取引先が応援をしてくれましたので、業績も伸びました。給料は下がりましたが、それまでのように毎晩出歩いたりゴルフの費用が激減した為に、要は支出が減りましたので、問題はありませんでした。

信仰・・・その頃はもう、家内と毎週の礼拝には出ていましたので、牧師のメッセージや聖書、また進化論と創造論の本なども読み、創造主と創造主がお送り下さったイエス・キリストを信じてはいました。しかし、洗礼の決心はつかぬ侭でした。家内も、下手に勧めると逆効果になる夫の性格をよく知っていますので、何も言いませんでしたが、時には痺れを切らせて、「神様を信じれば洗礼は不可欠よ」と控えめにつぶやくことがありました。そんなことが何度か重なると、無下に断ったり出来ません。ましてや「なぜ?」なんて議論をすれば絶対に負けてしまいますから、「何れデンバーへ行ってバーテル先生に頼むつもり」とごまかしていました。バーテル先生は30年以上前に愛知県で宣教師をしておられ、家内も受洗させていただいた素晴らしい先生で、その人となりは私も良く知っていました。その頃80歳過ぎで、デンバーで奉仕はされていましたが、まさか日本へ来られる筈はなく、要は決断を先延ばしにしていた訳です。

ところが、1998年の秋に、同じ教団の愛知県小牧市にある教会が無牧になり、バーテル先生が突然の如く短期応援牧師として来日される知らせが入りました。「ワー、信じられん。もうあかんわ」「私を信仰に導く神様の決定打や」というのが正直な感想で、12月に先生が来日されてすぐ訪問し洗礼をお願いしたところ、心から祝福して下さり、学びの後、帰国直前の翌年3月に受洗の恵みに預かることが出来ました。

   受洗したのはいいのですが、心配事がありました。定年後は生活の大半を夫婦二人だけで過ごしますが、何せ家内は30年の筋金入りの信仰があります。私は受洗間もないヒヨッコ、頭が上がりません。それで、もっと聖書の勉強をしておかないとまずいという、極めて次元の低い発想から、名古屋にある唯一の神学校「東海聖書神学塾」へ入学しました。

信州・・・私は元々、定年後は北アルプスの見える所で暮らしたいという夢を持っていました。   子会社も何とか順調になり、神学塾も卒業見込みが立ち、今度は「永年の夢」、信州移住です。幸い、北アルプスを見渡せる池田町の高台が与えられました。

名古屋の親しい不動産屋が、「小堀さんの団地は人気があり、売りに出せばすぐ買い手がつくよ。」と言うので、すぐ売りに出す一方、翌年春引っ越すつもりで10月に長野の建築屋と契約して、建て始めました。代金は途中で中間払いをしなければいけませんが、それが12月20日でした。私もタカをくくっていたんですが、12月に入っても一向に売れないんですね。不動産屋に何回か督促をしていましたが、12月の10日過ぎになって「ちょっと難しいです」との返事です。おまけに「本当は小堀さん、そのくらいのお金は当然あるでしょう」という、何ともたまげる話でした。すぐ銀行にも行き、自宅を担保に借入れ申し込みをしました。しかし、世の中は、年金生活者に何と冷たいことでしょう。全くダメなのです。

 支払いの1週間前になって、さすがの私もあまり物を言わず考え込んでしまいましたので、家内も釣られて無口になり、家の中が暗~い雰囲気になりました。「あの不動産屋のアホが」とか「銀行はけしからん。」とか、以前の、極めて傲慢な自己中心に戻ってしまっていました。

切羽詰った夜、家内が「祈ろ」と言いました。ハッと気がついたんです。その前2~3年、あまりにトントン拍子に事が運んでいましたので、何か自分の力でしているような錯覚に陥っていたのではないだろうか。夢が叶うにつれて、舞い上がっていたのではなかろうか。神様が、その高ぶりに懲らしめを下さっているのではなかろうか。2人で心から悔い改めて祈りました。

翌日久しぶりに妹から電話があったついでに、「ところで、かくかくしかじかで、困っとるんだわ」とグチを言ったところ、「幾ら足らんの~」と聞くので、「どうしても400万足らんわ」。そうしたら、妹が何と「私、いつ離婚してもエエようにヘソクリちょうど400万あるから、すぐ振り込んだるわ。」という訳です。エ~ッ、何という恵み、しかも符号を合わせたようにピッタリの金額。驚きましたねぇ。

 教会でも私達はありの侭を話していたのですが、この話を聞いた大方の兄弟姉妹が、「本当?まさか小堀さんのことだから、準備万端出来てるかと思っていました」と言う訳です。余程私の顔は悩みがなく裕福に見えるのでしょうか。

そんな訳で、中間金の支払いが無事済んだのですが、更に恵みの続編がありまして、それは家内の最も親しい姉妹が、そんな状況だとは知らなかった、どうしてもの時は、自分が万一にと持っているヘソクリを使ってほしいと言うのです。それは半端な金額ではなかったのですが、驚くべきことに、姉妹が申し出た金額が最終金に消費税を足した金額にピッタリなのです。こんなことがあろうかとびっくりしながら感謝すると同時に、世のご婦人方の、万が一に備える逞しさに唖然としました。結局、自宅がぎりぎりまで売れず、その姉妹のお金も使わせていただきました。

ここで終れば、会社勤めだった私が信仰に導かれ、神学塾での学びも出来、更に信州に住む夢が実現したという単なる証しなのですが、今回のテーマは「夢」です。夢と言っても、睡眠中に見る夢と、もう1つは、今日のテーマはこちらですが、将来実現させたいと思う願望の意味の夢です。

私は信州移住という願望・夢が叶いました。お証ししましたように、色々な問題がありましたが、それらを何とか乗り越えて夢が叶ったのです。その私の田舎暮らしの夢は、米や野菜を自給しながらアルプスを眺め、のんびり、旅行やゴルフやグルメをして気楽に暮らすのが目的でした。

   しかし、移住するところまでは神様の驚くばかりの恵みによって希望通りに実現しましたが、その目的は、大幅に、激変と言って良いほど変えられました。のんびりも旅行もゴルフもグルメも、全くなくなってしまいました。名古屋の母教会の牧師が、私達の移住と同じ頃から病気療養中で、大分良くはなったのですが、8年間、今でも毎月1回、信徒の私がメッセージ奉仕をしています。又、安曇野で牧会しておられる神学塾の先輩牧師の要請で、地域の牧師会の事務局や、豊かな命教会のメッセージなど、主が私のようないい加減な者を、聖書から離れないように鎖をかけて下さっているかと思うような、否、実際そうなのですが、感謝と時々苦労が入り混じった複雑な恵みをいただいております。キリスト教には程遠い池田町の地域の中で、証ししなさいと、自治会の役目なんかも仰せ付かっています。

   後で聞いたのですが、信州へ来るのは賛成だった家内が、実は私が何をするのかがとても心配で、教会の姉妹達といつも、主に最善にして下さるよう祈っていたそうなんですね。お蔭で、のんびりも旅行もゴルフもグルメもない今を、感謝してるという訳です。

   改めて考えると、夢とか願望とかビジョンを実現するには、人の努力だけではダメだということですね。私が夢を抱き始めた時には信仰を持っていなかったのですが、幸い家内や教会の人達が祈ってくれていましたので、全てを司っておられる神様が、人には思いもよらない大きな大きなご計画の中で、少しづつ夢を実現させ乍ら、信仰も持たせ、今も訓練して下さっているということではないでしょうか。

   信仰を持たない頃の私が抱いていた、「信州に住みたい」という夢は、実は夢ではなく、単なる人間の欲望だったと思うんです。ですからその目的は、のんびり・旅行・ゴルフ・グルメなどの、この世の価値観によるものであった訳です。それでも、人の思いを遥かに超える神様は、全部を拒否されませんでした。暫く前に学んだ聖書・エペソ書の3章19節にはこう書いてあります。

   「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」

   先程言いました、将来実現させたいと思う「願望」の意味の夢には、現実とかけ離れて、実現は難しいようなニュアンスがあります。それは、あくまで人の思い、欲求・欲望である為、それが叶えられるのは難しいですし、又、叶えられたとしても本当の満足感が得られないからです。         

 私の夢も実はそのようなものであったと思うのですが、しかし、そこに神様が働いて下さった為に、内容は変わりましたが実現はしました。ひょっとしたら、神様は私がその夢を抱く前からそのことを知っていたのかも知れません、否、私がそうなるように神様がずっと以前から計画されていたのかも知れません。

私の13年前の洗礼聖句は、聖書・ローマ人への手紙12章2節です。そのみことばは、のんびり・旅行・ゴルフ・グルメが全く出来なくなった今でも私に語りかけます。

「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」

人の思いと神のみこころが違っても、最終的に神様に100%お委ねしたのは、イエス様ですね。捕えられる前に「父よ。みこころならば、この杯を―十字架にかかるという、とても苦い死の杯ですが―わたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」(聖書・ルカ22:42)と祈りました。その十字架は全人類の罪を救う為の神の刑罰ですから、どんなに恐ろしいかということはご存知だったでしょう。しかしイエス様は「人間として耐えられない程の苦しみから逃れたいのです。」と言いながら、結局、最後は父である神のみこころに従うと言われました。聖書をすらっと読めば、「あぁ、イエス様は偉いなぁ」で済んでしまいますが、よく考えると、神のみこころを知っていても、それに従うということが、イエス様でもたじろがれた位ですから、いかに難しいことであるかを教えられます。私達も同じだと思います。神様のみこころは聖書に全部書いてありますが、それに従うことはそう簡単ではありません。しかし、生まれながらの罪ある性質や自分の力では無理であっても、神の恵みによって、福音の力によって、祈りを通して神様がそうさせて下さいます。

私の信州への夢は、家内の祈りはありましたが、本人の信仰がなく、その後信仰を持っても洗礼を受けても未熟な頃でしたから、神様の方から全面的に導いて下さいました。それは素晴らしい恵みですが、出来れば、夢を計画する段階からなるべく神様のみこころに近い方がいいですよね。

エジプトから助け出されたイスラエルの民が、ただ奴隷よりも楽な生活をしたいと思っただけでは、あの荒野での長い旅は耐えられなかったと思います。選ばれた神の民であるという「理念」、神の約束された土地に住むという「ビジョン」、その為の「行動計画」、そして、困難やアクシデントがあっても揺るがないリーダーが必要です。

教会もそうですね。キリストのからだとして、ただこの世に存在しているというだけでは意味がありません。成長し、建て上げられていくべきものです。私達クリスチャンが、信じてからも、洗礼を受けてからも、天国への切符を手にしても、なおこの地上に置かれているのは、世の光・地の塩として輝くという、地上での使命がある訳です。同じように、地上に於ける夫々の地域教会にも、神様のご期待とご計画があります。しっかりした理念と具体的なビジョン、そして明確な行動計画を持った教会、つまり神様のみこころに合った夢のある教会、地域の未信者の方々は、見ていないようでも教会をよく観察しています。教会に出入りする私達が、その方々の目に、いつも楽しく輝いて、イエス様の魅力を映し出しているかどうか、私達一人ひとりの小さな人生も、地域教会の営みも、その時には分からなくても、神様の偉大なるご計画の中にしっかりと組み込まれているのだということを、私たち自身が充分認識し、周囲の人にお伝えして行きたいものです。

最後にヘ聖書・ブル人への手紙12章11節を。

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」


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