Saturday, April 28, 2012

神のものは神に


「私たちは、喜んで完全にカエザルのものをカエザルに上げます。しかし、どのような状況にあっても、神のものをカエザルに上げことはありません。」チャック・コールソンマンハッタン宣言の最後の文書に彼の上の言葉が含まれました。彼は、最近天に召されました。


「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」イエス・キリスト、聖書・マタイ22:21


この句の前後を読んで下さい。『そのころ、パリサイ人たちは出て来て、どのようにイエスをことばのわなにかけようかと相談した。彼らはその弟子たちを、ヘロデ党の者たちといっしょにイエスのもとにやって、こう言わせた。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは、人の顔色を見られないからです。それで、どう思われるのか言ってください。税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」イエスは彼らの悪意を知って言われた。「偽善者たち。なぜ、わたしをためすのか。納め金にするお金をわたしに見せなさい。」そこで彼らは、デナリを一枚イエスのもとに持って来た。そこで彼らに言われた。「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」彼らは、「カイザルのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」彼らは、これを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。』聖書・マタイ22:16−22


イエス・キリストは、ここで言っていたのは、次の通りです。彼らは、銀貨を見るとき、そこにカエザル(皇帝)の『姿』(英: image)が見えたのです。ですから、その銀貨を税金として、カエザルに上げるのです。しかし、創世記1章に、私たち人間には、神の『姿』があると書いてあるのです。「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された」創世記 1:27。 私たちは、けして神ではないし、神にはならないが、動物と違って、神を知り、神と「交わる」可能性があるのです。神に知、意と情があるように、人間にもあるのです。


カエザルの姿のある銀貨をカエザルにお返しするように、神の『姿』のある人間は、自分を造った方にお返しすることを、イエス・キリストが教えていたのです。神に背を向いていた人間が神と和解できるように、イエス・キリストは、十字架上で、その和解の道を設けました。ぜひ、イエス・キリストを通して、あなたの造り主に立ち返って下さい。

No comments:

Post a Comment