Friday, June 1, 2012

すべて、疲れた人


「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」イエス・キリスト、聖書・マタイ11:28−30

今日はマタイの福音書の11章28節から30節までの箇所から、みことばをお分かちしたいと思います。これは聖書の中でも最も有名な聖句の一つで、勿論皆さんもよくご存知なところです。特に28節の「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」は、教会の玄関や信徒の家の壁などによく掲示されています。

群馬県みどり市に星野富弘さんの富弘美術館がありますが、その玄関横の壁にもこの聖句が大きく書かれています。星野さんは群馬大学を卒業して、24歳の時に高崎市の中学校の体育の先生になりましたが、授業中、宙返りに失敗して体の自由を失いました。9年間入院していたのですが、クリスチャンの友人が置いていった聖書を読み、――勿論自分では読めませんから母親に読んで貰ったのですが、この聖句に触れた時に本当に驚きました。それは、星野さんが子供時代畑に肥料を運ぶ手伝いをさせられていた時、肥料と言っても当時の肥料は汲み取りの糞尿ですから、桶に入ったそれを担いで少し上る訳ですが、上りきって一息ついた所に白い十字架があって、そこに書かかれていたのが「すべて疲れたる者、我に来たれ」という、マタイのこの聖句でした。

星野さんが口に筆を咥えて絵や文を描き始めたのは入院して2年目からですが、4年目に病室で洗礼を受けました。それから5年間、病室で描き続け、退院の年には前橋で作品展を開くまでに祝福されました。そして、その2年後には最初の画集が出版され、同じ年に結婚もされました。画集は誰かにあげたりして、今我が家には2番目の「風の旅」しかありませんが、改めてそれを読みますと、次のような文章がありました。「私は少年の頃、貧しい田舎で、父母のように土にまみれ、狭い畑をかきまわしながら送る山の生活が、堪えられなかったのです。お金や地位などを、いつか、きっと・・・」、そして今、自分では何も出来ない体になった時、その「いつか」は、「出世や地位、自分の力だけで生きていると錯覚していた小さな私を失わせ、大きな愛を与えられたことにより、全く違うかたちで実現しました。」

彼は群馬県東町という、今は合併してみどり市ですが、赤城山の麓の山村出身ですから、その当時大学を卒業して都会の学校の先生になったということは、さぞ親も親戚も近所も鼻が高く、本人も、自分を中心に周囲が動き、否、世界が動いているような錯覚で、意気揚々だったと思うんですね。それが寝たきりの体になり、見られるのは病室の天井だけ、そんな絶望の中で、子供時代に何のことか意味も分からない侭何度も見ていた、このマタイの聖句に触れました。世界の中心は自分ではない、神がおられるということをはっきりと自覚したのだと思います。そしてその聖句を語ったイエス・キリストを信じたのですね。星野さんがイエス様を信じたのは、その方が楽になるとか、キリスト教を勉強すれば辛い人生を克服出来る、乗り越えられるとか、ましてや信じれば体が回復するかも知れないなどというものではありません。

貧しい田舎で肥桶を担いでいる彼に、「すべて疲れたる者、我に来たれ」と語りかけ、体の自由を失いましたが、他人に絵や詩で奉仕出来る恵みを与えられた、そのように、生まれてからずっと自分を見守り続けて下さっていた神、イエス様が、これからもずっと共に歩んで下さることを確信したのだと思います。そして、寝たきりの不自由な体の、そのまま、ありのままで、「我に来たれ」と招いて下さったイエス様に従うことが出来ました。星野富弘さんの信仰のスタートはこのマタイの福音書11章28節だったんですね。。。。

星野富弘さんが、田舎から大学出の有能な教師になったので価値があるのではなく、口で素晴らしい絵を描けるようになったので価値があるのでもなく、神が私達一人ひとりに目を留めて愛し、神から離れて滅びの死に向かっていたのを、イエス・キリストが十字架の死によって赦して下さったこと、又それは神様からの一方的な恵みであることを、彼自身が絶望的な入院生活で悶えながら悟ったに違いありません。

上は、豊かな命教会でメッセージされた一部。

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